続きです。
私が何かにつけてスタンスを曖昧にしがちな理由はまとめられたけど、どうしよう。
やっぱり、他人とぶつかった時に相手を尊重したい、という気持ちは今でも強い。
相手と意見のぶつかりあいをする時は、「自分の考えは相手の考えより良いものだ」と思っているはずだ。
これが嫌。
相手の考え、思考の深さを私の主観で決めつけてるってことでしょ。
相手に私と違う考え方とか、事情があること、私よりも知識を持ってるかもしれないことを考慮に入れてない。
だから、その決めつけ、って、無責任で怖い。
この恐怖は私の中でかなり強くて、自分に嫌な思いをさせる他人について、できる限り同情しやすい事情を盛りこむ癖がついた。
例えば運転が荒くて怖い思いをした時は、「奥さんが妊娠中で立ち会いに間に合わないかもしれない」、
仕事の期限の約束ををナチュラルにブッチされた時は「ものすごく忙しいんだろうな」みたいな。
これ、なかなかに役に立ちます。
誰かに対してイライラしてる人に「もしかしたらこの人…」って言うと、相手の怒りを多少和らげられる。
あと、そもそも人に怒りを覚えることが減りました。私の中に苛立ちを発見した時に、「この人に〇〇な事情があることを考慮してないなんて浅はかじゃないですか!」っていう警告が先に来るから、あさましいことが恥ずかしすぎて苛立ちが収まる。
コスパが良いのでおススメです。
で、より都合が良いことに、自分の意見、別になくても良いことの方が多いんですよね。
ここまで読んでもらったらわかると思うのだけど、私にとって本心の自己主張、って、内容によっては雪山に裸で躍り出るようなものなんですよね。
怖いし、痛いし、恥ずかしい。
だったら、雪山の天候に合わせてコートを着ればいいんです。
ベースになる洋服を持ち合わせてないから、外の環境に合わせることが辛くない。
必要とされてる時に、必要とされてる考え方に素で寄せにいけるの、精神的負担が大きく減って生きやすい。
そもそも自己開示、したくないし(こんな汚いものを見られたくないので)。ちょうど良いかもしれない。
そして、幸いなことに、私が持ってる、自分の意思を持つことが他人に負の影響を与えるかどうか・センサーはかなり精度が高いので、自分の意思を持っても他者に皺寄せがいかない、とか、無意思でいる方がマイナスに転ぶ、ってわかると急にちゃんと主張を始めます。
あと、意思を持たないことが、自己犠牲の許容ラインを超えて私の利益を害する、っていう状況になってもちゃんと主張を始めます。
きちんと自分本位なの。
終始他人事みたいに書いてしまったけど、ここらへんの判定はかなり無意識のうちというか、オートマティックな感じがある。
なので、常に意見を持てない訳ではなくて、状況により戦略的思考放棄、っていう感覚。
この感覚については、身についてよかったな、と思う反面、なんか違うよな、と思う気持ちもある。
多分、飛び道具を得ただけでちゃんと向き合ってはないです。
だからかっこよくないけど、かっこよくないなりにしとしとと過ごすことにする。
