若いうちにするべき経験、ってなんなんだろう。

若い頃にしかできない経験、ってなんだろうな、と考えることがある。


長い時間がかかる経験、恥を晒すような経験?それとも、他人に反感を持たれる経験?


今は恥を晒すような経験、にフォーカスを当てることにする。


若いうちはたくさん失敗をして、とよく言われる。社会人〇〇年目の大人からしたら、私たちは確かに若いだろう。でも、私たちのコミュニティの中では、私たちは往々にして若くない。


私は今、大学3年だ。所属しているサークルでは最高学年だし、アルバイト先でも歳上のバイトは少なくなってきた。

正直、私にとっては自分が属するコミュニティが全てだ。そのコミュニティの中では、もう自分は若い方ではない。

なので、「失敗」をするような状況に飛び込むことへの躊躇いが大きい。


じゃあ、今すべきことはなんなんだろうか、という漠然とした焦りがある。


歳上の絶対数が多いうちに、末っ子になれるような環境に身を置くこと、も一つなのかもしれない。

自分は歳上の方が接しやすいから、このような場には進んで身を置きたい。

とは言え、やっぱり良い後輩でいたい。

無理してでも好奇心旺盛なフリをしたいし、従順で素直に振る舞うことを自分に課している。

だから、あまり恥を晒す機会は多くない。


また、いろんな人に飾らずに自分の話をするようにしている。そうしたら、相手も多少はいろいろ話してくれる。

歳を重ねたら守らなきゃいけないものが増えるから、裸で車道に踊り出ることはできなくなるんだろうな、と思うので、これは今しかできないことなのかもしれない。

他者と自分を比較して、驕りに気がついたり、足りない部分を自覚して死ぬほど落ち込んだりする機会を増やすようにもしている。

でも、これも内省という意味で、自分の中でだけ恥ずかしい思いをしているだけで、他人に恥を晒しているわけではない。


とはいえ、失敗はたぶんたくさんしてきた。

お酒の失敗はもちろんのこと、身の振り方が上手くいかず、友人に「あの子は思わせぶりだ」と言われていたと人づてに聞いたこともあるし、コミュニティの中で自分勝手に振る舞いすぎた経験もある。


確かに、これらの失敗は活きているとは思う。繰り返さないようにしようって強く思う。でも、その結果生み出されるのは別の方向の失敗だ。

生きのびれば生きのびるほど恥ずかしい失敗や思い出したくもない出来事が増えていく。

これは、いつ終わるんですか?

いつになったら、恥の多い生涯に区切りがつくんだろう。死ぬ方が早い気がしてきた。


若いうちにたくさん失敗をする、環境に自ら身を置くことはできないのかもしれない。

失敗に身を任せて、受け入れていくことしかできないのかな、とも思う。

じゃあ若いうちにたくさん失敗しておけ、なんて言わないでよ。焦るじゃん。


結論なんですが、若さ、関係ある?

もう失敗の記憶の数は右肩上がりで、種類が充実していくばかりだし、その量が人生の前半に多いからと言って後半少なく済むとは限らないんじゃない?


まさか死ぬわけにはいかないので、私なりの「今のうちの恥さらし」を重ねていくけど、ナチュラルに耐え難いし勘弁してほしい。

頑張ります。