助けを求める人には手を差し伸べるべきだし、辛くて抱えきれなくなったら肩代わりしてあげないと潰れてしまうのもわかる。意見が対立して言い合いになったら泣いた方が同情されるし、気が弱くて繊細な人は心配される。当たり前だし、そうであるべきだと思う。でも、そうすると、弱音を吐かずに強く在ることのメリットが何もない。
自立心が強く、自らを律することができる人が損をすることは、明らかだ。でも、そのことを指摘すると、性格が悪いように見える。「悪者」になってしまう。
意味がないじゃん、と思う。頑張って頑張って漏れてくる悲鳴を取り繕って普通を装っても、生み出されるものは何もない。強くありたい、自立していたい、という自分のプライドが維持できるだけ。「強い人」の称号が得られるだけ。しかも、この称号にはしばしば他人の気持ちがわからない位に鈍感、自分本位、といった皮肉が込められる。
頑張りが報われないどころか、頑張っているのにマイナスの評価を下されることすらある。のに、得られるのは自分にしか成果がわからない自己実現だけ。それで本当に自己を満足させられる人がどれだけいるんだろう。
私よりも少ない業務量で精神を病んだ同期。
私より上に気に入られているのに辞めていく同期。
私よりも抱え込むものが少ない状態で忙しいアピールをする友人。そして、実際に私よりも彼女の方が忙しいと思っている周囲。「〇〇さんは大変そうだからあなたがフォローしてあげてね。」「〇〇さんは可哀想だから」「〇〇さんは頑張っているから」
嫌になる。気が強くてごめんなさいね。
私に仕事を奪われて(あなたの仕事が遅いから肩代わりしただけでしょう)優しい言葉でフォローされた後のあなたの虚無感と自己嫌悪に配慮ができなくてごめんなさいね。
私は怒られても気にならない強い人だけどあなたはそうじゃなくて辛かったのね。そうだよね。次の環境でも頑張ってね。自分以外全員が他人の悪意に気がつけない鈍感な人間、なわけないでしょう。自分だけが人の気持ちがわかってしまう繊細さを持ってる、わけがないでしょ。
恋愛面でも同じだ。
自分に色々な制約を課して自立した女になっても、モテるのは、シアワセな恋愛ができるのは、男が守ってあげたいと思うような少し頼りない女の子だ。
こんなに言っておきながら、私は「頼りない女の子」になってしまう時がある。強く在ろうとしてもなりきれない時がある。人を選んで、弱音を吐く。そうすると、文字通りの意味ではなく、概念として「モテる」「シアワセな恋愛ができる」側にいることが肌感覚でわかる。周りの異性の励ましには、(きっと心からの)同情と、優位に立っていることへの喜び、が滲むことが多い。
そう思わせてしまう隙を見せた悔しさを覚える一方で、このまま身を預けたら楽だろうな、という思いが湧いてくる。処世術として、圧倒的に正解だからだ。頼るところは頼って、自分が楽に生きる上では、この「媚び」は不可欠だ。私はそれをわかって利用している。
"そちら側"をこんなに疎ましく思ってるのに、私も"そちら側"だ。しかも、自覚を持って、"そちら側"にいる。
せめて、矛盾を矛盾だと認識し続けることにする。
いつか、脱 "そちら側 ”をしたいものです!