大きな大人用のベッドになったそうちゃんは、小さな赤ちゃんの沢山いるGCUの中でこれまで以上に一際目立つ存在になっていました。
私たちも最初は少し申し訳ないような恥ずかしいような…という感じでしたが、簡単な目隠しのパーテーションを置いていただき、いざ添い寝を始めてみると、これまでに感じたことのなかったそうちゃんとの距離感に想像以上に感動し、不思議そうに私たちを見つめるそうちゃんにとても幸せな気持ちになり、提案してくださった看護師さんに心から感謝しました。
その喜びを味わってしまってからは、恥ずかしさもすっかりなくなり、手術までの間にタイミングを見つけてはそうちゃんとの添い寝の時間を楽しませていただきました。
写真はパパとの添い寝の様子です。
私と添い寝をするとすぐに寝てしまうことの多かったそうちゃんでしたが、主人が添い寝をするといつもなぜか大興奮で、やっぱりパパっ子なのかなと微笑ましく感じることが多くありました。
そうちゃんは体調も安定していて、その後行われた脳波の検査も異常はなく、嚥下を感じさせる母乳綿棒への食いつきや「ごっくん」の音も絶好調で、さらには大きく膨らんでいた腹壁ヘルニアが何もしていないのに突然小さくなるという不思議な現象も起こり、まるで手術に向けて体調を整えてくれているかのように感じるほどに、とても順調な経過をたどっていました。
またちょうどこの頃、私にとってもそうちゃんの入院生活の中で初めての出来事がひとつありました。
それは、NICUとGCUで約8ヶ月間を過ごしてきて初めて、よく話すようになったお母さんができたことでした。
そうちゃんのいた病院は、病気の子よりも低体重の子の入院が多かったため、入れ替わりもとても激しく、そうちゃんほど大きく成長した子は他にはいませんでした。
ところがある日突然、そうちゃんほどではありませんでしたが、少し大きめの赤ちゃんが転院してきていたようで、たまたまそのお母さんと搾乳が一緒になり、話しかけていただいたことがきっかけで色々と話すようになりました。
それまでは、少しでもそうちゃんとの時間を大切にしたい思いが強かったこともあり、他の赤ちゃんのご両親とは挨拶を交わすくらいで、ゆっくりと話すようなことはありませんでしたが、そのお母さんは搾乳の時間など、そうちゃんに影響しないタイミングで度々話しかけてくださり、その距離感がとても心地良くて、私も初めてそうちゃんのことを話すようになっていました。
今思えば、手術も無事決まり、体調も安定していて、私自身が少し心に余裕ができていたのも大きかったのかなと思います。
もちろん子どもの月齢も病状も違い、その子はすぐに退院となりましたが、同じように我が子のためにやれることを一生懸命に考え、頑張っているお母さんと話せたことは私にとってはとても大切な時間となりました。
また、そうちゃんのことを初めて人に話したことで、私は改めてそうちゃんと一緒に過ごせることに一層の幸せを感じるようになっていました。
先生方や看護師さんたちからは、手術が無事終わって退院したら、そうちゃんに付ききりでなかなかお出かけもできなくなるからと、入院中に主人と旅行や外出しておくことを勧めていただいたりしていましたが、そんな欲はもう私にはありませんでした。
そうちゃんは手術をしても、しばらくは人工呼吸器や経管栄養が続く可能性が高く、退院してからの身体の管理や生活がどれほど大変で自分の時間が持てなくなるかということは、先生方や退院指導の看護師さんたちから聞いて理解はしていました。
不安がない訳ではありませんでたが、でも私の中では、そうちゃんが産まれてきてくれた時から、これからはそうちゃんと家族のために生きていくという覚悟を決めていたので、自分の時間が欲しいとはすでに思わなくなっていました。
もしかしたらそう思えたのは、これまでかなり自由奔放に生きさせてもらってきて、もう十分に満足させてもらえていたおかげだったのかもしれませんが。。
でも、家族のために生きていくためには、自分自身が元気でいることがまずは大切だと感じていたので、手術前に自分自身の健康状態だけはチェックしておきたいと思い、ずっとできていなかった検査などは入院中にすべて済ませておくことに決めました。
それからは面会の合間を縫って自分の病院へ行ったり、そうちゃんの手術や退院に向けてのことで色々な先生と面談をしたり、毎日のように抱っこや添い寝を楽しませてもらったり、時間はあっという間に過ぎていき、転院の日はどんどん近づいていきました。
