こんにちは
自然氣功師えみこ♪です
別記事を下書きしてあるのですが、
その前に【ビックリ情報】をお1つ★
https://xn--u9jc499vutu0ri78wda.com/2021/10/19/ootani-syouhei/
ネットニュースが大キライで
観ない方にも観ていただきたい
【花粉】や【黄砂】の【被害】と説明して納得させられているけれども、実はケム・トレイル(消えないで広がる飛行機雲)であり、上空からジェット飛行機の排出パイプから【化学物質】を撒いていて、さらに巨大な沢山のプロペラで台風波の大風を起こして拡散している事はご存知ですか?
年々増える【花粉症被害】とは、実は天然自然な樹木の花粉に対する【アレルギー症状】なんかでは無くて、もっと恐ろしい企みだったのですね
わたし自身が、初めて【花粉症】?と自覚したのは、まだ夫の転勤で愛知県名古屋市在住の頃でした。
クシャミが止まらなくなり、水の様な鼻水がダラダラと流れ続けて、目の粘膜が痒くて痒くてたまらず掻いてしまう程の酷い痒み…
一年目は、団地のママ友に教えてもらった漢方薬専門のお医者さんで診察&漢方薬処方をしてもらって治まりましたが、二年目は団地から賃貸マンションに引っ越した時に、漢方薬専門のお医者さんから少し離れてしまったため、ドラッグストアで買った【花粉症薬】や【鼻炎スプレー】や【花粉症用の目薬】で対策したら、なんと、もっと酷くなり、【鼻詰まり】まで起きて鼻呼吸が出来なくなり眠れないし、頭はボーッとするしで、外出する時にはマスクをしたり、ティッシュを鼻に詰めると少し軽減するような感じがして、自分なりに工夫してなんとかやり過ごしました。スギ花粉の時期からヒノキ花粉が収まる5月の連休の頃になると症状は納まるのでした。
長男が小学校2年生の2月には3番目の子ども(次男)が生まれたのですが、
妊娠中や授乳中には市販薬は飲めませんから、花粉症3年目は子ども達が風邪などを引くと連れて行っていた個人内科医院でおじいさん先生に相談して【花粉症の予防薬】を出してもらいました。授乳中に飲んでも大丈夫と言われたので…
そんなことを繰り返していたら、次男が幼稚園の年長組の夏休みに、夫が東京の本社に転勤になり、埼玉県に引っ越して来たのでした。
そして、次男が小学校4年生の夏休みに悪性乳がんの手術、放射線、抗がん剤の西洋医学病院の【癌の三大治療】+分子標的法の「ハーセプチン単独点滴」を毎週✕2年間続けて、全部で約三年間の治療を終了したのでした。
わたしの【乳がん】は、美人で聡明な若き主治女医さんから、【顔つきの悪いタイプ】と言われました。
何故かと言うと、【女性ホルモン】タイプではなくて、がん細胞が【糖分】を餌にしてドンドン増殖するタイプで、5年生存率が極めて低いタイプだからですね
①まずは、手術で【悪い所】を切り取る🔪
②乳房を全部切り取るなら【放射線】無し
悪い部分だけを切り取るなら【放射線☢】有
わたしは、【悪い部分】だけを切り取ってほしかったので【乳房温存手術】+【放射線☢】を選びました。
③キツイ【抗がん剤】の点滴を2パターン受ける。
④正常細胞には悪さをしないで、がん細胞だけを標的にする『分子標的治療薬』
この順番で受ける事を指示されました。
本当は、④だけを先に受けて様子見をしたかったのですが、厚生労働省で決められた通りに【全部】を順番に受けないと、最も有効な④は、【健康保険】で受けさせてもらえないことを教えられて、仕方なく【全部】を受け入れて【まな板の上の鯉】になった氣分で【調理された】のでした
【全部】の内、凄く嫌だったのが、【抗がん剤】でした。
何故ならば、髪が抜けてハゲてしまうからでした
まだ46歳の閉経前の女性がハゲるって想像以上に悲しくて残酷な話です
「髪は女の命」なんて言葉があった位ですからね
短くても白髪でも良いからハゲるのだけは勘弁してほしかったのです
まあ、『命』さえあれば、一度ハゲてもまた髪は再生されると聞いていたので覚悟を決めて【抗がん剤】を点滴針でブスッと刺されて見るからに毒毒しい【赤い液体】がわたしの静脈からポトリポトリと一滴一滴注がれていくのを、「夢だったら良かったのに!」とおもいながら病室のベッドの上で寝ながらボーッと眺めていたわたしです
【赤い抗がん剤】の前に、生理食塩水の点滴、次にステロイド剤の点滴をするので、全部でかなりの量の液体を腕の静脈から時間を掛けて入れられていきます。
生理食塩水以外は【猛毒】ですから、一刻も早く体の外に出す事が必須ですから、病院で出されるお茶の他にも自販機で水分を買って飲んだため、トイレに行きたくなりましたが、最後の点滴が終わるまで我慢していたのです
そして、全部が終わってナースコールして点滴をチューブから抜いてもらって、やっとトイレに駆け込んで、、、
ですが、事前に、トイレに設置してある500mlのビーカーに尿を採って貯尿器?に入れるように言われていて、言われた通りにビーカーを当てて排尿したのは良いのですが、なんと、自分のオシッコが赤いのです
コレには、おったまげました
しかも変な臭いがするしで、嫌だなぁ〜と思いながらビーカーに溜めていると見る見る内に満杯になってしまい、ビーカーを外して置いて尚も排尿し続けたと言う悲惨な体験
もちろん、様々な検査だって、手術だって、放射線だって、すべてが人生初体験の連続でしたが、【抗がん剤】治療の凄まじさ、後からドンドン出て来る【悪作用】の凄まじさは、もう二度と経験したくない【黒歴史】とも言うべきわたし自身の【人体実験】でした
コレばかりは、【実体験】した事が無い人には到底わかってもらえるはずが無いことはわかります。
だからこそ、もう、誰一人もわたしのように【悲惨ながん患者】になってほしくないから、こうしてブログに過去の【乳がん体験】も時々綴っています。
こんな目に遭うのイヤでしょ?
だからと言って病院に行く勇氣、あるいは、行かない勇氣?よりも、いちばん大切な事は、【がんにならない勇氣】が必要なのです
そうそう!今日のブログのタイトルの最初に書いた【昨夜の蚊の襲来】について書きますね!
昨日も王子の太極拳まで自転車で片道30分掛けて行き
13時15分〜15時50分頃まで3レッスンを受けて、帰りに食糧の買い物をして重たい荷物を自転車のかごに積んでまた30掛けて帰宅
帰ったら少し休憩して夕飯を作って食べて、次男が仕事から帰って来たら夕飯を出して片付けて…
もうスッカリと疲れ果ててちょっと休憩しようとベッドに寝ると熟睡して
ハッと気づくと夜中の12時半
お風呂準備もしてあったのに、、、追い焚きして洗濯して入浴後に洗濯物を室内干し…
それからまた寝たのですが、睡眠時間は、トータルで7時間半と理想的な睡眠でした
別に規則正しく無くても、こうやって疲れを溜めずに休み休みやるべき事をやれていたならば(花丸)だとおもう大雑把な性格のわたしです
良き生徒、良き社会人、
良き妻、良き母にならなければ
そのように自分自身に無理を強いて、心と体に鞭打って、結局壊したわたしの体…
「もう二度と、何の癌にも、何の病氣にもならない!」
と、決めたあの日以来、わたしは、【頑固】と【クソ真面目】と【ちゃんとしている振り】と決別したのです
わたしのやり方で、わたしの好きなことを好きなようにしてあげるのが、『自分流』とおもうことを「許してあげる」ことにしたからこそ、こうやって【悪性乳がん】になってから、もうすぐ丸18年を迎えられるのだとおもいます
今、同居しているのは、わたしの性格にソックリで、おなじ血液型の次男だけ
氣楽にお互いに干渉せずに、困った時には助け合ったり、慰め合ったり、時には一緒に楽しんだり
わたしにとっての『良き相棒』=『ツインレイ』は、次男だったのかも知れませんよね
そもそも、夫と結婚する決意を持ったのは、大好きだったからと言うよりも、「この顔にそっくりな男の子がほしい」と想ったからだったのです
わたしの魂は、ちゃんと覚えていたのかも知れませんよね?
なので、長男が産まれた時に顔を観てちょっと違いなぁと想ってしまったり、二番目は待望の女の子でしたし、わが家の経済力では、子どもは二人がやっと!とおもっていたので、時々、
「この顔にそっくりな男の子」は、夢だったのかなぁとの諦めがありました。
ところが、ある日突然、「授かった」のでした
そして、お腹の子が男の子と診断されてから、もしかして夢が叶うのかなぁとなんとなく想って楽しみにしていました
そして、予定日よりも三週間も早目でしたが、いよいよ出産となり、家族全員で立ち会い出産の予定だったのに、もう少し掛かりそうとのことで、わたしは産院のお昼のカレーを食べ始め、夫と長男と娘は、アトムボーイと言う回転寿司に行ったのでした
ところが、カレーを一口食べると陣痛が強くなり、陣痛が引くと一口食べて…ってしていたら、ドンドン強くなって来て、これはカレーを食べている場合ではないって感じだったのでしたが、これから出産を頑張らなくてはと食べられるだけ食べてからナースコールをすると、来てくれて触診してくれた看護師さんが、
「わぁ〜全開になってます!分娩室に行けますか?」
と、言うので、支えられながら、ヨッコラショと陣痛室から分娩室に歩いて行って、なんとか分娩台によじ登り体勢を整えて、看護師さん達が加圧ストッキングを履かせてくれていたら…
片方履いたところで破水してアレヨアレヨと超安産で産まれた次男…
そこへ知らせを受けて戻って来た夫と子ども達が産院から渡された白衣や帽子を着ながら入って来て…
あの時のドタバタ出産を想い出すと、何と軽いお産だったのか!と可笑しくなります
早目に出て来たので小さい赤ちゃんだったからと言うのもありましたね
とにかく顔を観ると目がパッチリで可愛らしく、看護師さんが、「お目々真ん丸でキューピーちゃんみたいですね」って褒めてくれたのを覚えています
ついにわたしの想い描いていた夢が叶った瞬間でした
そんなこともあって、わたしの子どもの頃からの夢が全部叶って、こちらに引っ越して来たのですが、次男が小学四年生、娘が中学三年生、長男が高校三年生の初夏に、わたしはこの手で自分自身の悪性乳がんを見つけたのでした
なんで悪性かわかったのかと申しますと、先に左の脇の下のシコリを見付けて手を下に滑らせて行き、乳房にもシコリがある事も自分の手でわかったからでした
市からのお知らせにより、人生初のマンモグラフィを体験した、たった10ヶ月後でした
【異常なし】だったハズなのに…
癌のシコリは、9年掛けてやっと発見出来る位に大きくなるハズなのに…
たった10ヶ月で2cm大の癌のシコリってどう言うこと
しかも、すでにリンパ節転移って
コレッて、今流行りの【ターボ癌】だったのかも
そうそう、コレも健康被害の問題があるんですよね
汚染されまくりの環境ではありますが、今こうして生きていると言うことは、生き残っているわたし達の『生命力』、『自然治癒力』、『免疫力』は想像以上に『強い』のかも知れませんよね
そりゃそうですよね
毎週毎週『愛氣光ヒーリング』で『氣の強化』を行なっているのですからね
それから、内容物?が真っ黒で何かの【破片】の様に見えました
一応現物は保存してあります
不自然な人工的な虫?
昨日のブログに書いた通りの虫型ロボット?
大地震や火山の噴火…
コレも人工的?
何かから目を逸らせるため?
わたし達が、この二つの目目で
しっかりと見極めなければならない事
目目を逸らしてはならない事実
見せてくれてありがとうございます🙏
すべてに感謝します🙏
ありがとう
愛してます
毎日のスキンケアアイテムを教えて!
▼本日限定!ブログスタンプ