昔はずっと、相手と向き合うって
相手の人間性を見て
違いを埋めていくものだと思ってた。
自分をどこまで相手と同化出来るか。
許すってそういう事だと思っていた。
今思うと
たいへん気色悪いですね
相手に合わせるのが優しさ
相手の事を思うのは自分を抑えること
そんな恋愛をしていた。
それが出来て初めてまともに
他人を愛せたと言えると
本気で思っていた。
でもまあ…
そんな事出来るほど大人しく
従順な質では無かったので
優しく大人しく振る舞いながら
腹黒さや反抗心が見え隠れしていた。
優しい時は女神のように優しく出来る。
でもいつだって不安定でイライラしていた。
優しくされても、冷たくされても
相手の反応に一喜一憂していて
幸せなのに苦しかった。
どんなに大事にされても、愛されてもその愛情の半分も受け取れていなかったと思う。受け取ってしまったら、その何倍にして返さなければと思ってたから。
愛情が怖くて、ウザくて仕方ない。
でももっともっと愛して欲しい。
そんな矛盾をつねに抱えていた。
私は子供の頃からずっと借金を抱えて生きて来たと思う。
優しくされたら、世話を焼いてもらったら、何かしてもらうたびに
“恩”という借金が増えていく。
返しきれ無い借金がどんどん増えて
助けてもらったのに、苦しくなる。
耐えられなくなって
関係性をリセットするように
一方的に関係を切ってきた。
恋愛、友人、同僚、恩人…
私の人間関係はリセットの連続だ。
いい加減とても疲れてしまった。
相変わらず、愛情を受け取るのが
とても苦手です。
それでも少しづつ受け取る練習。
相手の事が嫌いなわけじゃない
憎んでるわけじゃ無い
相手の幸せを願ってる
出来ればもっと優しくなりたい
そんな事を思ってる。
その為に受け取れるようになりたい。
損得で測るのはもうたくさんだ。
私が恋愛を楽しいと感じるのは
どこか打算的だから。
成就したら、恩返しをし続けなければならないと感じてしまうから。
鶴の恩返し思考…
マジでいらないわ



ワガママかもしれない。
結局自分を通してしか他人を見れないし
他人を通して自分を見てる。
どこまでいっても
“自分”が一番だと思ってる。