この世の中の定説は『最後に決めるのは自分』だという事。
それが分かってる人は何も言わずに送り出す。
新しいコトを誰かがやり始めた時に
決まってネガティブな発想をする人達は
ただの嫉妬である。
と最近思うようになって来た。
別にそれが成功するかしないかなど、どうでもいいし、それが自分にとって脅威になるかも知れないけれど、干渉もせず、特に何と言うわけでもなく、ただただそこに空気があったかのように佇み、いちいちうろたえなくてよい。
個の時代と言えど、まだまだ集団の力には及ばない、というか、この社会の秩序がそんな嫉妬から始まっているような、そんな、気がしてならない。
『組織』と『群れ』は圧倒的に違っていて
組織であるならば、その最高意思は何処にある?
群れには意思などなく、ただただ楽しければいい。
個の集まりが集団となり組織となるなら、その意思は何処にあるのか。
だから、個の時代だと思うのだ。
重要なのは終わりのないゴールへ向かう基本精神と、それを悟っている脳だ。
終わりがないものに立ち向かう過程の一致こそ、これから必要とされる重要な要素だ。
とか言ってみる、水曜日の昼下がり。
そしてその『自分』すらも虚像に見えて来たとき、人は嫉妬するのだと。
そして、その嫉妬すらも虚像であることに気付く。
だから、人は群れるのだ。
とか訳のわからない事を言ってみる水曜日の昼下がり。
ある種の羨望や尊敬や活力や行動の、源となる部分において、人は色々な価値を持ち、左右され、自らの存在価値に意味を求めたがる。
『自分は一体何者だ?』と。
そこに嫉妬や焦りが生まれ、自分と誰かを比べたがる。
それが源になったりする。
果てしない螺旋。
結局、それが作られた自分であろうと、そうでなかろうと、常にオリジナルの精神で。
そして、それが虚像だと知れ。
自信なんてなくさなくていいさ、あなたはあなたの人生を。
とか分かったようなことをぬかす、水曜日の夕下がり。
まずは、行動を。
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