ぎりぎりの「義理」 | ミ―ナに恋をして

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誰も読まない、誰も覗いてくれない、寂しくてしょうがない、甘えたい、すがりたい、泣きたくてしょうがない、でも、誰も助けてはくれない。そんなブログを書いてみよう。

今日は朝から、雪の中、部落総出で「和紙すき」の原料「(こうぞ)の木」の伐採作業をしました。


ぜひ、和紙すきにご興味ある方は、遊びにきてください。


「設備道具」は立派ですが、腕の方は「いまいち」です。


冗談はさておいて、



さて、今日は本当に古臭いギッチギッチの固いお話です。


どうかお付き合い願いたい。

昔の交際と義理についてのお話です。


葬式や婚姻そして「(いえ)普請(ぶしん)」関係の古い話です。


要点は、「仏を拝むのは、当然の義理」であり「祝儀はほどほどに」とあります。



「ぎり」=「おつきあい」の中で


つき合いの悪い者として


慾深い人、ケチンボ、寄付しない人、金銭に汚い人。


意固地(いこじ)我意(がい)を張る人、折り合いの悪い人、理屈っぽい人。


手前勝手な人、他の厄介にならぬと言う利己主義者、村仕事に一切かかわらぬ人。


頭が高い人。威張って不親切で身持ちが悪い人、無口な人。


必要以上に謙遜する人、人に迷惑をかける馬鹿正直者。


また、つき合いが悪いものとして排斥される人は


村仕事に遅刻する人または(ゆえ)なく出てこない人。


集まりに出ない人、村祭などに参加しない人。


村の喜び事や悲しみ事に顔を出さず、尽くさない人。

とあります。


※ せわしない世の中だが、思い当たることがいっぱいだ。


つきつめれば、おそらく「村八分」者に決定だ。


すべて該当、死刑判決となろう。「人間失格」


いくら詫ても許してはもらえまい、素直に反省すべしである。


いい人とは、義理堅い人(返礼を尽くす人)となる。


・約束を守る人、「祝儀・不祝儀」によく世話してくれる人、欠かさず葬式や道普請に出る人、「贈答を固く守る人」


 縁故関係にこだわらず「ご祝儀」をよく出す人。


 お盆正月などによく「付け届け」をする人。


 もらった香典は記帳し、代が変わっても必ず返す人。


 「見舞わなければ、義理が立たない」「礼儀正しい人」


 訪問答礼にきちっとした「口上・あいさつ」をする人。



感想


神経質である、世間体が気なって仕方がない。


人目が気になっていたたまれない。


がんじがらめ・・・なのである。


どこまでも,


人に優しく、自分に厳しくなのである。


おそらく、「人間の本質そのものズバリ」を言い得たものだと思われて仕方ない。


とにかく、土臭くて素朴なのだ。


素晴らしい人です、尊敬できる人です。


昔の人は。

(ばん)()ならし()の正体が垣間見えますかな?)


でも、今はそんな人は、何処にもいません。


「仏を拝むのは、当然の義理」ではなくなってしまっているのです。


60歳にもなる俺自身がそうなっている。


「だらしない意気地なし」の話でした。


とっぴんぱらりのぷ~


赤倉武弘