実は、前回に星組の「王家に捧ぐ歌」を観たときに、ラダメスを湖月わたるさんが、演じていました。
わたるくんは、爽やかさが持ち味で、いい人オーラが満開の、ラダメスでございました。
キムシンの脚本や演出も、そうだったんだろうなと思います。
全くの個人的な事情なんですが、亡き義母の口癖が、
「麻里子さん、お人好しはあきまへんよ、お人好しは周りの人間に迷惑を掛けるからなぁ」
「でも、お義母さん、悪い人より、お人好しの方が良いと思いますよ」
「あきまへん❗お人好しっちゅうのは、アホのうち、言いますねん。よう、覚えときなはれ、お人好しはアホでっせ」
きっと長い人生で、周りにお人好しのかたがおられて、ひどい目に遭われたんだろうなぁと思って、いつも聞いておりました。
ですから、わたるくんのラダメスを観たときに、ラダメスは、人が良いなぁ~
アタマのなか、
ラダメス→人が良い→お人好し→アホのうち
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みたいな脳内変換が起こり、それで、全く話に集中出来なかったような気がします。
実際、真っ直ぐで、一直線なわたるくんのラダメスには、光輝いていて、栄光がすごく、似合い、あまり苦悩の色が感じられませんでした。
ところが、新人公演のちえちゃんのラダメスを観たら、やはり、若さゆえのひたむきさや、意地らしさが、何より一生懸命に生きている❗の雰囲気で、ぐっときて、泣けました
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若くて、周りが見えないのは仕方ない、そんな風に見えて、お人好しには見えませんでした。
今回のまあくんの、ラダメスが、私的には、一番ツボに嵌まりました❤
若さが溢れて、力強い❗そして、時折かいま見せる、深い孤独の闇。
私利私欲なく愛に生き、愛に殉じるひたむきさ。
まあくんのラダメスからは、希望の光が見えました。
ラダメス、男らしくて、素敵❤
そう思いました。
それから、キムシンは、「王家に捧ぐ歌」のテーマは愛と平和だ❗っと高らかに宣言されていましたが、ちょっと違うような。
あの脚本、演出を見て、敵を許すことは、本当に素晴らしいとか、思えなくて、悲しくなります
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二女などは、
「母ちゃん、ラダメスが、必死になって、エチオピア王の命を助けてさ、エチオピアを解放したのに、だーれも、ありがたいとか、感謝してないなぁ。恨みしかないやん❗」
「ほんまやなぁ。ファラオが、人を許して、平和な世の中を、ラダメスと、見守って行こう❗とか、言っていたのに、暗殺されてるし」
「しかも、荒廃して、滅ぼされたエチオピアをみても、王さま、反省もしてないし」
「うん、うん。自分は狂っちゃって、幸せだよねぇ、生き残ったら、大変やな」
「何だかなぁ」
人間の愚かさや、純粋な愛以外を何も求めなかったアイーダとラダメスの愛の切なさに涙します。
平和だけを願い、懸命に生きるアイーダの心情をエチオピアの人たちは、全く理解しようとはしなかった。
それでも、祖国を愛するアイーダの想いは何ともいえず、切ないです。
人間の業の深さ、消えることのない恨みや憎しみ、それが新たな不幸を呼び込む、空しさ。
この空しさが、平和への願いになるのでしょうか。
キムシンの脚本には、そのあたりが、ボケているような気がして、深く描けていないように思います。
辛口でごめんなさい。
宝塚の座付き作者の偉いかたは、客席がいっぱいになれば、演出家のお手柄🎵
客席が、ガラガラだと、歌劇団員の力量不足❗みたいな姿勢で、自らに厳しくないような気がしてなりません。
今回の公演は、出演者の努力に脱帽致しました❗