モクズガニ(藻屑蟹)
2013年11月21日(木)記
モクズガニ(藻屑蟹)
友人宅の作業場で鯖石川で取れたモクズガニを御馳走になりました。初冬の恒例行事です。
写真は茹で上がった蟹。
シャンハイガニ(上海蟹)の近縁種だそうです。
参考記事:

八珍(はっちん)柿
2013年11月14日記
八珍(はっちん)柿
11日に初めて霰が降って荒れた日が続いたが、14日晴れ間をみて八珍柿を取った。
この柿の正式名は平核無(ひらたねなし)柿、種のない渋柿で、越後の七不思議に次ぐ珍しいもので「八珍柿」と命名されたという。
佐渡のおけさ柿の名で呼ばれるものもこの種類。
参考資料:
八珍柿の原木
おけさ柿とは?
写真は焼酎で渋抜きしたもの。

ギルモア著「モンゴル人の友となりて」(7) 第三章 冬のバイカル
ギルモア著「モンゴル人の友となりて」
第三章 冬のバイカル
キャフタに住んでいると、何人も、シベリアのロシア人が大いにバイカル湖を尊崇し、聖母と称してこれに何か神聖を認めているのを知るであろう。冬の間、バイカルは、ことに外国人にとっては理解できぬ因縁を付して、尊敬の対象とされる。通常キャフタ付近の河川は、十一月一日には流れが閉ざされ、牛や車が通っても十分なほど厚く凍結するが、150マイルを距てる バイカルは一月の二十七日ごろまで、いかに寒気が厳しかろうと、なんとしても氷で閉ざされぬと言われる。この結果、広い水面より立ち上がる水分が空気に蒸気をあたえ、著しく寒冷であるかの如く感じさせる。バイカルが一面に結氷するや否や、空気は乾燥し、寒さはおそらく以前同様甚だしいのにかかわらず、遥かに凌ぎやすくなったように感ぜられる。
キャフタよりバイカルに赴く途中、我々の眼にとまって最初に水上行きを思わしめた光景は某日早暁、行く手に薄明かりをとおしてぼんやり見えた大きな家の格好をしたものであった。初め何であるか想像もつかなかったが、近ずくに従って汽船のボイラーであることを知った。これは明らかにバイカルの汽船に使用されるもので、イギリスより黒竜江を経由して、この僻遠の内海に輸送の途次であるという話しであった。ボイラーを乗せた大荷車の四輪車のうち一つは外れており、車の取り外しのできる部分品は運送人が持ち去って、我々の見た場所に一時放棄してあったのである。 バイカルに近づくに従って積雪は甚だ深く、我々は四輪馬車を棄ててそりによらねばならなかった。湖水の南岸は氷塊重畳して山脈か丘陵の如く乱立していたが、無論これは水面に結氷したのち北方より吹き荒んだ暴風の細工である。その少し彼方に、我々は一層判然として風の作用を見出した。湖面の薄氷で被われた部分は吹き破られて、大部分はあたかもガラスの破片を並べた塀の頂の如く鋭い牙をみせている。これを通ずる道路は遮断されて、馬やそりは通り得ないであろう。しばらくして我々は、平坦ではあるが雪におおわれた氷にさしかかった。これを越えると清い透明な氷で、足下はただこれ漫々たる水の如く、立てはするが今にも危険なように感ぜられる。氷の厚さはこれを下まで通って走っているひびによっても察せられ、十尺ないし十二尺と見受けられた。
湖上の道路は、高さ五尺ばかりのスコットランドもみの木を植えたように一列に差し込んで、示してある。夜間ばかりでなく、昼間も、吹雪で道路の跡形もなくなることがあるので、そりでゆくひとの欠くべかざる道しるべである。私は湖水の真ん中に旅人の憩うレストランがあると聞き及んでおり、居心地よく設えた旅人の気をひく小奇麗な接待所を脳裏に描いていた。我々はやがてここに到着したが、現実はおよそ想像とかけ離れたものであった。それは板囲いの小屋で、ロマンチックな遊子の小難しい好みにあったものでなく、貨物輸送に使われるそり人足の需要を満たすための設備であった。入ってみると、人相の悪そうな二人の男の経営する堀立小屋に過ぎず、茶を飲んだり、黒麺類をかじるに忙しい人足が一杯がやがやしている。一隅にややましな所があり、我々がここに陣取ると、水漏れのする茶沸しをあてがわれ、急いで茶をのんで旅程を続けた。
北岸に近づくと氷上には雪が一掃され、迅速に行進することができた。道路は直線でなく、西寄りに曲がっているけれども、岸から岸までの道のりは、中途の小屋で馬を休めたのを除いて、約三時間で容易に踏破しうる。北岸には渚に高く小舟があって、イギリス水夫ならば快を叫ぶ所であるが、言うまでもなく中央アジア大公路における艀輸送の必要に応ずるものである。湖を横断すると、郵便路が二駅の間岸に沿って走っている。氷を離れると、我々は極めて小型の不快な四輪馬車に移った。やがてバイカルが水をアンガラ河に注ぐ点を画して、夜目にもしるく漫々たる水が見えてきた。このとき我々は行く手にこばむ関門の閉鎖してあるのに気がついた。たまたま税関について、我々の荷物はコサックに引っ張り回され、がらくたをいちいち点検して、旅行鞄の鍵を要求した。私が、もし、夜中荷物を検査するならば、道路上でしないで、駅站の屋内でしてくれと申し出ると、直ちに列をなして私の荷物を持っていった。屋内にはいると、一群の人々が私の鞄の内容を見んものと集まったが、その検査の綿密なこと、私は検査官に手紙の束を次手に見た方がよかろうと言ったくらいであった。この一言によって事は落着し、急いで蓋をしながら、士官はよろしいと言った。私の車の所まで送られて帰ったが、やはり検査のために持ち込んだ手提げ鞄の方は開く手間をかけるに至らなかった。
これがロシアに於いて税関を通過した最初の経過であったので、私は手続が不必要に粗暴かつ高厭的であると思ったが、ロシア士官がこれと全く同じ扱いを受けているのを見て、決して私を軽悔したのでないことは納得した。禁制品は何も見つからず、信号が行われて、今まで道を塞いでいた理髪店の竿のように縞に塗った柵が持ち上げられた。かくて我々は行旅を続けたが、数日間はもうバイカル湖の風光に接しなかった。
シベリアの首都、イルクーツクについては余り多くを語る要はない。市内には数多くの堂々たる公共建築があって、遠方から見栄えがする。近くによっても、その取引、店舗、街路、駐車場で客を待つ馬車、公共市場など、なかなか素晴らしく、販売されている商品のうちで、ー少なくとも見慣れていない目にー最も珍しく思われるのは、アムールから来たという、樹幹をくりぬいて蜂蜜をつめた樽であった。博物館ではブリヤート族から購入した一対の真ちゅう製仏像が私の注意をひいたが、彼らは信仰深く時々ラマを参拝させることを条件に約したそうである。私は街上で、しがない糖菓の呼売を商売にしている三名の漢人に出会った。私の訪問は三月末に近かったのでイルクーツクの市街は氷雪が溶けて泥沼となり、無惨な状態を呈していた。貧窮なシベリア住民の多くは衣食住や靴などいずれも見窄らしい。したがって一面にじめじめして、冬中氷に閉ざされていた汚物が解ける春先は、疫病の蔓延する時であると知っても驚くには足りない。
ロシア人の旅の習慣に幾分染まった我々は、日没にイルクーツクを発って、しばらくして馬車の鈴をほどいた。これはイルクーツク付近では同地駐在の総督に敬意を表して、鳴らぬようにしてあるのだ。夜道については危険を警告されていたが、途中つつがなく早暁湖畔の駅xに到着した。湖水北岸は往路には夜間通ったので、帰りは昼旅をしたいと思った。私の希望は満たされてあまりがあった。というのは、白昼の湖水の風光を眼の当たりしたばかりでなく、しかも猛烈な吹雪を冒して見るに至ったのであるから。この地方に用いられるそりは、単なる深い箱で、旅客はその中で寝床と荷物にまぎれている。人間は頭部以外に露出していないので、中は適当に暖かく、暴風雨の際でも被覆されている。
湖畔における最初の駅站で、我々の直前そりで出発したロシア人夫婦を見かけた。途中では一切道草を食わず、出来るだけ早く第二の駅に着こうと思って、我々は彼らの後からあまり距離を置かずにそりを出発させた。吹雪の中をかなり走って彼らに追いつき、少しく先頭を切った頃、我々は二台のそりに出会い、我々、競争者共にそりの馬を換えた。かくて我々は今までに得た幾分の利益を失い、競走は新たに開始された。我々は共に湖水横断点にある駅站に先着しようとあせった。遅れてついた者は駅站外の馬を雇わねばならぬかもしれず、長距離の間には極めて多額の余分の費用を要することを恐れたのである。従って旅人は何れも競走に一生懸命であり、御者も勝者が敗者より多額の祝儀にありつくことを知っているから、旅客同様死物狂いであった。我々は吹雪を物ともせず、新手の馬をもって平坦な湖面を疾走した。途中長い列をなして徐々に行く貨物積みのそりにあったが、これまた明らかに我々同様雪には無関心なのであった。時々御者の一人が手綱をふるっては、ロシア人御者特有の低い狼のようなうなり声をあげて、馬を全速力で走らせて敵手を抜く。すると、もう一人の御者も手綱をふり、うなり声をあげて、先頭に駆け抜ける。我々は幸いに最高の馬を得て、とうとう先頭を切った。しかし他のそりも徐々に追いついてくる。駅の小屋はあまり遠くない。双方の組は全速力で飛び、旅客は一生懸命だし、御者も興奮した。馬も仕事に熱中し、人間同様競走に心血を注いで、躍進はすでにものすごいくらいであった。いよいよ最後の努力をしようとしたとき、我々の一人が叫び声を発したので、振り返ると後ろのそりは転覆して、ロシア人夫婦とその荷物は、凍結して雪に被われた湖面に投げ出されたのであった。幸いだれも怪我はなかったが、競走は終わり、我々が郵便所についてしばらくしてから、ロシア人は不幸と敗北に微笑しながら入ってきて、サモワールを注文した。最後に彼を見たときには、彼は妻と茶卓に向かって大コップの熱いお茶をかきまわしていた。そのくすんだ濃い色は、コップの中で撹はんされるたびに白く光る砂糖の塊と、際だった対照を示していた。
湖水横断の際には烈しい追い風を受け、走っている間は非常に温かったが、時より御者が大きなひび割れに出会ってそりを止め、氷列の間を馬の通れる固い足場を捜すために竿で探らねばならぬ時には、骨を刺すような冷たさを感じた。こうした辺縁の裂開や粉砕は、気温の変化に伴う氷の膨張収縮による物だと言われる。数は多くないが、場合によっては通過困難なものがある。
私は三月二十三日バイカルを横断して北上し、同二十八日帰路を南下したが、その間数日の中に溶解して、著しい変化が認められた。氷塊は清浄な黒い外観を失い、鋭い尖角は溶け去り表面は風雨にさらされて朽ち崩れていた。
バイカル湖は、凍結した際にはそりをもって急行しうるし、氷の全くないときは汽船によって容易に横断出来る。何れの場合にも運輸や旅客に障害を生ずることは少ない。困難な時期は、氷結してまだ通過が安全にならぬ前と、融解して氷は崩れたがまだ全然溶け去らぬ時とである。何れの場合にも輸送は南岸を迂回せねばならぬが、行程は著しく延長される。

(EOF)
佐藤メモ
駅站(えきたん):
道に設けられた駅を使ったシステムで、物資や郵便を運び、人や継馬の貸し出し、また宿泊施設にもなる 拠点
一時期北海道に設けられた駅逓(えきてい)と同じような働き?
サモワール:
ロシアやその他のスラブ諸国、イラン、トルコなどで湯を沸かすために伝統的に使用されてきた金属製の容器である。簡単に言うと給茶器。

花だより 菊と蜜蜂
2013年11月16日(土)記
花だより 菊と蜜蜂
三日降り続いた雨が止んで本日は晴天なり。
玄関先の鉢植えの菊にクマンバチや小柄な蜂が群がっている。
この蜂の名を吾はまだ知らない。


御所柿
2013年11月13日(水)記
御所(ごしょ)柿
正岡子規の有名な句
「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
この柿は御所(ごしょ)柿だそうだ。
今年は我が家の軒先の御所柿が今まで見たこともないほどいっぱい実を付けた。
今年の冬、雪が2メートルあまり積もっている時期に鉈で幹にこびり付いている苔を削ぎ落としてやったのが効いたようだと言うと連れ合いは私が幹の周囲に灰を撒いてやったからだと功を言い張る。
ところが、我が家だけでなく全国的に柿の当たり年だそうで、近所の柿の木を観察しても例年なったことのない渋柿までが実を付けている。
この御所柿は子供の頃もこの位の太さに見えたもので、60年経った今でも昔のままで少しも太っているように見えない。
父も子供の頃からあったと言っていたので樹齢100年を越えているのは間違いないが、いつ誰が植えたものかはわからない。
幹の中頃に接木の痕が瘤状に見えるので、遠い先祖がこの柿を気に入って接木をして育てたものであることは確かだ。
この老木の枝葉が伸びて電灯線に触れるので東北電力が枝を切らせて欲しいと言って来たが柿の収獲が済むまで待って欲しいと先延ばししてもらっている。
老木と言っても吾よりはるかに長生きするのは間違いない。
参考資料
五所柿:



カマツカの実
2013年11月8日(金)記
カマツカ(鎌柄)の実
人が食べても美味しいものではないが、冬の間、メジロなどの小鳥の餌になるという。
枝はしなやかで折れにくく、昔は小枝を牛の鼻環に使っていたそうです。
11月2日撮影










