佐藤武久のブログ 「日本・モンゴル往来日記」 -62ページ目

ダダル紀行 2015年夏 ハジョー・ボラグ

2015/07/18(土)記

ダダル紀行 2015年夏 ハジョー・ボラグ

チンギス・ハーンが産湯に使ったと伝えられる湧き水。
牧民の青年たちが頭に水を掛け合っていた。
ウランバートルで買ってきた
ペットボトルの飲料水が空になってるのでに詰めて次の旅に備える。


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ダダル紀行 2015年夏 チンギスハン生誕記念碑

2015/07/18(土)記

ダダル紀行 2015年夏 チンギスハン生誕記念碑

13日の朝、ダダル村を去るにあたってキャンプの敷地内にあるチンギス・ハーン生誕記念碑の前で記念写真を撮ろうと思い出かけた。
既に先客の一団がいてがいて賑やかに記念撮影を繰り返していた。
隣のドルノド県からやってきた同窓会のグループで23年ぶりの恩師との再会だそうである。
恩師は写真中央の小柄な女性で歳は73歳だという。
私に気がついて「日本人ですか?」と訊ねた。
全員揃っての撮影が終わると、気の合った仲間同士が次々に写真を撮っているので我らはその様子を少し離れて観察していた。
一段落したところで、上半身裸の青年が写真撮影の担当らしいので私のカメラを渡して撮ってもらったのがこの写真。
細かい注文を付けなかったが、左端にオボーを入れたり、人物のクローズアップもあって願ってもない出来映えであった。(蛇足:2000年頃は、モンゴル人に写真を撮ってもらうと首がないものがしばしば見られた。)

この碑は1962年に、建国800周年を記念して建てられたもので、「我が身は滅びてもこの国に栄えあらんことを!」という意味のチンギス・ハーンの遺言が記されているという。
建立に際して、社会主義政権からの弾圧により、関わりのあった学者や政治家が失脚したという。

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ダダル紀行2003 ♪おーい船方さん 船方さんよー♪

2015/07/18(土)再編集

2010年1月16日記

ダダル紀行2003 ♪おーい船方さん 船方さんよー♪

オノン河には橋がない。渡し場で対岸に向かって「船方さんよー」と叫ぶとワイヤを辿って鉄舟が寄ってくる。
鉄舟は二艘を並べた上に木材の床を張ったもので、人だけでなくワゴンや馬も積み込むことができる。
この時の船方さんは子供を連れてきていたが、親子なのかじいじと孫なのか確かめるのを忘れた。

この続きはhttp://blogs.yahoo.co.jp/jkchp386/70543763.html



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ダダル紀行 2015年夏 モンゴルの父はすでに幽界の人

2015/07/18(土)記 7月24日追記

ダダル紀行 2015年夏 モンゴルの父はすでに幽界の人

オノン河の橋の下で水遊びをしていた人にたまたまDundoiさんの親戚の人がいて、2013年に幽界の人となったことを教えられた。
翌日(12日)、村のはずれにある小さな博物館を訪ねた。
壁にZundoi翁の遺影が飾ってあった。享年97歳
2003年に訪問したとき、本を書いてると話されたが、それは2006年に刊行されて初版は売り切れ、今2刷を準備中だとのことであった。
ぜひ一冊入手して帰りたいとお願いしたところ、息子さんが古いのをダダル村の中心まで届けに来てくれた。
羊の匂いが染み込んで薄汚れていた。
日本に持ち帰ってスーツケースから取り出すと梅雨明けの湿気の中で一段と強く懐かしい匂いを放った。

(2003年8月23日撮影)
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(2015年7月12日撮影)
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(写真の左が息子さん)
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ダダル紀行2003 脾臓の丘(デルーン・ボルドグ)にて

2010年1月21日記

ダダル紀行2003 脾臓の丘(デルーン・ボルドグ)にて

ダダルの外れの脾臓の丘(デルーン・ボルドグ)にチンギスハーン生誕の地の記念碑がある。
ここから、「モンゴル秘史」で蒼き狼が棲むというブルハン岳をはるか遠くに望むことができる。

https://youtu.be/pkRJODHA1jI

ダダル紀行 2015年夏 デルーン・ボルドグ(脾臓の丘)

2015/07/16記

ダダル紀行 2015年夏 デルーン・ボルドグ(脾臓の丘) 7月11日

ダダルの外れの脾臓の丘(デルーン・ボルドグ)にチンギスハーン生誕の地の記念碑がある。
2003年の時と違い、丘の周囲は車が入れないように鉄柱の柵がめぐらされ、入口には真新しい小さな管理人の小屋と案内板が立てられ、有料の自然保護公園のようになっていた。
丘の上に立ってブルハン岳の方角を望めば、2003年と変わらぬ風景が広がっていた。

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ダダル紀行2003 我ら父なるチンギスハーンの末裔

2015/07/16再編集

2009/12/23 にアップロード

ダダル紀行2003 我ら父なるチンギスハーンの末裔

2003年の8月、チンギス・ハーンの生誕地であるヘンテイ県のダダル村にあるオノン­河(バルジ河?)のほとりで釣りをしていたとき、たまたま出会った地元の青年が私がビ­デオカメラを持っているのを見つけて、唄うから撮ってくれと言われて映したものです。­青年の母は、NHKの取材で唄ったそうです。

NHKドキュメント「大モンゴル」 

NHKドキュメント「大モンゴル 第三集」


NHKスペシャル 大モンゴルのオープニング主題歌(OP)がそれ。


我ら父なるチンギスハーンの末裔

NHKドキュメント「大モンゴル」

ダダル紀行2003 バルジ川の渡し舟

2015/07/16再編集

2010年1月21日記

ダダル紀行2003 バルジ川の渡し

最初に渡ったオノン川の渡しに続いて支流のバルジ川の渡しでは、ワイヤで引くこともなく船体を川の流れに対して斜めに櫂を操作することでゆっくりと対岸に進んで行った。2003年8月22日?


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ダダル紀行2003 オノン河の渡し舟

2015/07/16再編集
2009年12月25日記

ダダル紀行2003 オノン河の渡し舟
オノン河には橋がない。渡し場で対岸に向かって「船方さんよー」と叫ぶとワイヤを辿って鉄舟が寄ってくる。
鉄舟は二艘を並べた上に木材の床を張ったもので、人だけでなくワゴンや馬も積み込むことができる。
この時の船方さんは子供を連れてきていたが、親子なのかじいじと孫なのか確かめるのを忘れた。

2003年9月、チンギスハーンの生誕地ヘンテイ県のダダル村に旅行した際、オノン河をこのような渡し舟で渡りました。船を流れに対して斜めにすると対岸に張ってあるワイヤに沿って進んで行くのですが、乗っている人も一緒になってワイヤを手繰り寄せて進みました。
車を無事対岸に降ろしたときはいっせいに歓声が上がり、船頭と握手して記念写真を撮りました。

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ダダル紀行 2015年夏 オノン川の橋

2015/07/16記

ダダル紀行 2015年夏 オノン川の橋 7月11日

2003年の旅ではオノン川とバルジ川の二つの川に橋がなく、渡し船に人も馬も車も積んで渡ったが今度の旅は別のコースを選んだのでコンクリートの頑丈な橋を渡った。
はじめは、昔の渡し舟のあった所に新しく橋を作ったものと勘違いしていたが、すでに1996年に建設されていたもので、昔の渡し舟の場所は今でもそのままに残っているということである。
橋をわたって川原に下りて行くとモンゴル人たちが水遊びをしていた。
その中の一人の青年が私が日本人であることを見抜いて拙い日本語で話しかけてきた。
日本の千葉や埼玉に居たことがあるという。
この人たちはダダルのZundoi翁の情報を知ってるかもしれないと用意してきた2003年の記念写真を取り出して知っているかと訊ねた。
親戚のお父さんが即座にうちの親戚で2年前に亡くなったと答えた。
大分酒を飲んでいて、水に浸かっているときも体の不自由な人かと思わせるようなふらついた動きをしてたが言葉に嘘はなさそうだった。

96歳でなくなった聞いたが、2003年に会った時は91歳だと言っていたので数字が合わない。享年101歳?のはずだが・・・。
ともかく、はるばる訪ねてきたが、残念なことにDundoiさんはすでに幽界の人となっていた。

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関連動画:ダダル紀行2003 オノン河の渡し舟