同名の小説ではありません。
渋谷です。渋谷の駅周辺は今正にスクラップアンドビルドの真っ最中です。
東京オリンピックに向かい、ここ最近では久しぶりの大規模なスクラップアンドビルドが東京を中心に展開されます。
記憶に新しい新国立競技場問題。
あの顛末を見ていて気分が大いに盛り下がりましたね。
私は専門知識はないですから、建設をめぐる政治的なことは理解していませんが、以前からザハ・ハディットのファンでした。今もファンです。
優れた建築家の言葉は時代を表す言葉だと、いつも注目しているのですが、ザハ・ハディットもそのうちの1人でした。
イラク出身の出自や女性として、また具現化されない建築家と言われ、数々の辛酸を舐めながら、素晴らしいインテリジェンスで建築界の寵児となった人物です。
今回の件で、ザハ氏はヒールになってしまいました。
私はその構図がまさに日本らしいと思ったのです。誰か1人を悪者にするという。それは安藤忠雄さんについてもです。
あれだけ大きなプロジェクトの責任がザハ氏だけ、あるいは安藤氏だけにあるはずがないということは、少し考えれば誰でも分かります。
でも、ザハ氏は悪者になった。世論がした。
そういった動向を世界は見ています。
オリンピックで否が応でも世界の注目が東京に集まります。
前回のオリンピックから日本が
技術や経済だけでなく日本人の知性が成長したかが問われるのではないでしょうか。
新国立競技場問題の最中、ザハ氏の過去の発言を思い出していましたが、
ローマの美術館のプロジェクトについて
『美術館はもはやオブジェではなくフィールドである。たくさんのプログラムがそこに付加され得る。』と語っていました。
新国立競技場を巡るアンフェアな騒ぎのせいか、私たちは本来フィールドであるべき競技場をオブジェとしてしか見得ていなかったのではないか?
そして、実は東京という都市そのものが来たるオリンピックにおける様々な付加価値を内包すべき一つのオリンピック フィールドであることを忘れてはいけないと思うのです。