こんにちは、また……①
こんにちは、また……②
こんにちは、また……③

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中学を卒業後、別々の高校に進学してからも、俺たちのクラスは週に一度はどこかの公園で近況を報告し合った。

「やっぱり同中(おなちゅう※同じ中学校の略)が一番だて」

と言いつつも、高校は高校でまた仲間ができる。
だから、徐々にクラスメイトとは疎遠になっていった。
高校に入ってからは、キックボクシングも本格的にやり出したし、俺自身遊ぶ時間が無くなっていったのも事実だった。
高校のツレと遊んで、中学のツレと遊んで、コンパやって、キックボクシングもやって……ではさすがに時間が足りなさ過ぎる。

高校時代もこれまたパイパニくんなんていう伝説のMasturbation男の友人(詳しくは拙著『1001のローキック』にて)ができてしまったものだから、それはもう俺の10代は大変愉快な学生生活だった。
小、中、高、大学と、仲間に関しては本当に恵まれたと思っている。
とにかく俺の周りはキチガイで溢れている。

愛すべきキチガイ

なんだ。
差別用語も使い方によっては、使用を許諾してもらいたいところだ。
このままだとそのうち『バカ』や『アホ』も差別用語になるぜ。

高校を卒業後、寛が京都大学に入ったっていう噂は聞いていた。
小学生の頃、寛は「僕は京大に入るのが夢」と言っていた。同じく天才的な頭脳を持っていて「僕は東大を目指している」と言っていた田島ヒロタカと常に競い合っていた。
まあ、俺は鼻からヤツらと頭で勝負なんてしようとは思っていなかったから、ヤツらと競い合ったのは、もっぱらマリオカートのタイムラップだった(勝ったり負けたりだったが……)。

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俺がキックボクシングで活躍していることは、もちろん寛も知っていた。
大学3、4年の頃、インターネットが繋がってから、ネット上で寛と繋がった。
当時、寛は東京の大企業に就職していて、何度か俺の試合も観に来てくれた。
俺の記憶が確かならば、全日本キックボクシング時代で一番のパフォーマンスができたガオラン戦も、観に来てくれたはずだ。

後日、寛のブログには「世界を相手に戦っている友人の試合を観に行った。リング上のその世界に入り込んだ」なんてことが書いてあって嬉しかったもんだ。

寛は、ありのままの感情を丁寧な言葉でオブラートに包み、日々を綴っていた。
物言いは柔らかくカモフラージュされていても、俺には何となくわかっていた。
俺が色々と葛藤しているように、寛も色々と思い悩んでいる。

そして、俺が最後に見た寛のブログには、

「会社を辞めることにした。このホームページも止めることになる」

とあった。
あのとき俺は思ったんだ。
京大に行くような秀才でも、せっかく入った大企業を辞めることがあるんだな、と。

何が原因なのかは聞いてないからわからない。
でも人間関係に悩まされていたんじゃないだろうか。

人との巡り会いは、おおよそ運に左右される。
自分とは感覚のかけ離れている人間を、人はあまり受け入れない。

「あいつは何を考えているんだろう。宇宙人なんじゃないか」

って。
でも、俺自身が誰かをそう思っているということは、誰かも俺のことを同じように思っている。
若い時は、自分が世界の中心にいるような気がしていたから、そんなこと露ほどにも思っちゃいなかった。
俺が楽しけりゃ、周りも全員楽しい、本当にそう思っていたんだ。

続く
こんにちは、また……①
こんにちは、また……②
こんにちは、また……③

明るく生こまい
佐藤嘉洋
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Krush45 in Nagoya
佐藤嘉洋vs山崎陽一 放送日程
放送局『GAORA Sports

ラスト1回!!
10月16日(木) 23:00 ~ 26:00
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