今年ももう総括の時期が来てしまいました。
来年もおそらくあっという間に終わるでしょう。

さて、今年の佐藤嘉洋はどんな感じだったでしょうか。順を追ってみなさんに報告していきましょう。
まず2月のISKA世界ライトミドル級タイトルマッチでは王者のファディ・メルザを完全に完封して破り、私はキックボクシング世界3階級制覇をすることができました。
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ただし、タイトルを取っただけでは、それほど価値のあるものにはなりません。キックはもちろん、最近はボクシングもそういった傾向ですが、どのような強者相手にタイトルを防衛したかが、そのチャンピオンベルトの価値を高める大切な行動でしょう。
私のISKAのベルトの価値はこれから先、私自身で高めていかなければなりません(といいつつ体重を70kg級に戻し気味の矛盾した私)。

3月にGloryという大変期待のかかる大きな格闘技団体が発足しました。世界の70kgトップファイターも一同に集結することになりました。
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恐れ多くも過去の実績、ネームバリューで私も呼んでいただき、5月には日本代表として世界大会への出場が決定しました。

そして5月スウェーデンでの一回戦、対戦相手はシェムシ・ベキリとの再戦です。初対戦では私は僅差で勝利したのですが、この対戦では私は僅差で敗北しました。かなり悔しかったですが、努めて明るくふるまいました。落ち込んでいても明日は来るし、立ち直っても明日は来るし。
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一番大事な試合で負けてしまい、早くも5月にして2012年の大きな山場が終わりました。

しかし絶望して辞めようとは思いませんでした。まだ自分にはやり残したことがある、と感じていたからです。それから11月までの間、みっちりと体作りをこなし、肉体改造に努めました。
その間に名古屋初開催のKrushで、大和哲也とのエンターテイメントキックボクシングを行いました。
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来年もKrushは名古屋大会を9月に開きます。そのときには私も……。

この時期ツイッター上でお互いフォローし合っているだけ、くらいの関係しかなかった講談社の人と、色々なタイミングが重なりウェブアプリ「熱犬通信」でのコラム連載が始まりました。
「この連載はこれから先、私の人生の転機になるでしょう」
と当時から妄想していました。
しかし「熱犬通信」自体が9月で終わってしまったため、「私の夢はついえたのか」と多少落ち込みました。しかし、そんなことはおかまいなく私は原稿を書き続けたのです。
そうしていたら、あれよあれよとプレゼンをするすると勝ち上がり、とうとう来年2013年春に講談社から作家としてデビューすることになってしまいました。
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なってしまった、と謙遜して言ってはみたものの、作家になっている自分をずっと昔から容易に妄想していたのですけれど……。

作家デビューが正式に決まったのは、11月イタリア・ローマで奇跡の本戦復帰を果たし、この大会は自分のサクセスストーリーのためにあるんだと、盲信して戦った結果、あえなく6年振りのKO負けを喫し、心底傷心して日本に帰ってきた直後、でした。まさに絶望寸前。
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捨てる神がいれば、拾う神もいるんだな、と。
人生に絶望して、ひねくれた人間にならずに済みました。それはそれで、絶対悪とは別に思わないけどね。

来年は本当に忙しい一年になるでしょう。
試合もたくさんこなす予定ですし、作家としての活動も多忙を極めるでしょう。
そして会社の大黒柱として、経営者として、ドシンと指揮を取っていかなくてはなりません。
ま、睡眠時間を削るほど働いているわけではないので、安心してください。
寝るのも練習だと信じていますから、本業のキックボクシングがおろそかにならない程度に張り切ってやります。

どうやら佐藤嘉洋は、もう一度世に出ることができそうです。
名声は独り占めしないし、稼いだお金は世に回るように、できるだけ有効に使います。
関係者各位、このブログを読んでくれている人たちには、ぜひとも佐藤嘉洋を男にしてやってください。

私は自分一人じゃなんにもできないんです。
スーパースターになれる人間ではないから。
誰かの力を借りないと輝けないんです。
月と同じです。
そこのところ、よろしくどうぞ。
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明るく生こまい
佐藤嘉洋