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↑前の家主が植えていたのだろうか。
綺麗なユリが咲きました。

実は真剣に経営や人生哲学について勉強し始めたのは2006年9月から。
ブアカーオ、クラウスに負けて、人生初めての連敗を経験したときだった。

ちょうどそのときは人間関係的なことでも色々なことが重なり、大変なストレスを感じていた。
人間関係の板ばさみというのは、中々キツい。
AとBが仲良くしてもらえれば私としては最高なのだが、
そう簡単に人間関係はうまくいかない。

試合での連敗や、人間関係の板ばさみでほとほと疲れてしまった私は、少し休養することになった。
本当は二ヶ月の休みをもらったのだが、後輩の試合も決まったので、
一ヶ月の休養に短縮した。
自分の試合前に相手をしてもらった後輩だから、
私もスパーリングパートナーを務め上げなければならない。
ご恩と奉公というやつだ。

休みは二ヶ月から一ヶ月に短縮された。
だが、この一ヶ月は私の人生において、とても良い一ヶ月になった、と感じている。
精神的に疲れて休むことにしたのは、
自分自身から逃げることだった。
まずはそれを格好つけずに認められたのが、第一歩。

「精神的な疲れを癒すため」という理由と「ただ遊びたい」という欲が混ざって、たくさん遊んだ。
おかげで心のガソリンは徐々に満たされていった。
これが第二歩。

せっかくの休みだから何かを身に付けたいと思い、
大型バイクの免許を取りに行った。
そして、ファイナルファンタジー10の「ザナルカンドにて」を、どうしても弾きたくてピアノを始めた(三ヶ月で辞めた)。
これは別に第何歩とかない。

そして、当時の彼女(今の妻)の勧めで図書館に通うことになった。
本屋では自分の興味ある本しかお金出して買わないが、
図書館は自分に興味のない本も気軽に借りられる。
これが大きかった。
私は様々な本を借り、読んだ。
そして新しい発見を数え切れないくらいした。
これが、第三歩。

格闘技においても、人生においても、経営においても、
この休養期間が大変な有用期間になったのである。
もちろん、当時はただ逃げただけなのだが。
何年か経って、こうやって自分を正当化できれば、別にいいんじゃないのかな。

今ある嫌なことも、何年か後に
「自分の成長にとって、とても大事なものだった」
と言えるかもしれないよ。

過去を振り返って、

「あのとき、ああすれば。
あのとき、こうしておけば。」

と後悔するのも、別にいい。
悪いことではない。
でも、

「あのとき、ああしたおかげで。
あのとき、こうしたおかげで。」

とどこかで自分の人生に感謝できるような物事も確かにあるはず。

私は後者を少しでも多くして生きていきたいと思うよ。

後悔は笑い飛ばしながら言いたいね。

明るく生こまい
佐藤嘉洋