Sn3p0168
こんばんは。
佐藤嘉洋です。
三十路になったその日から子供に風邪を移されて若干の悪寒と戦っています。
私も25日でめでたく30歳を迎えました。
私はおそらく120歳まで生きるので、
これで人生の四分の一を過ごしたことになります。
20歳過ぎてからあっという間の10年でした。


本題の前に28日の激励会の詳細ブログのリンクを貼ります。
来れる人は是非見てください。
激励会


人生の諸先輩方は30歳を過ぎると時はもっと早く経つと言います。
論語によると『30にして立つ』年になります。
15に志した学は格闘技というものでした。
それをずっとずっと学んで学んで学び続けていたら、
色々なことを学びました。
一つのことを深く掘り下げていると、一つのことだけではなくて、たくさんのことが学べるんです。
これは私が保証します。
14歳から学び続けた格闘技が、ようやく30歳にして『立つ』のです。
いまだ過去最強の状態を保ち続けています。
毎日の練習が、読書が、経営が、遊びが、
全て自分の栄養になります。


20歳になったときは何を考えていたんだろうなと思って20歳の私のブログを見てみました。
と思ったらまだブログはやっていなかったし、
ブログというシステム自体が無かったんだった。
この10年でインターネットの世界もとんでもないスピードで進化してきていますね。
私が20歳のときはウィンドウズ98で、
コンピューターのHDDなんて1GBあったら、確か大容量でした。


20歳になったときは何を考えていたんだろう。
20歳のとき私は大学2、3年生で、
授業と練習とバイトで時間は全くないが、
激しく充実していた記憶がありました。
タイ人に二連勝して
ニュージャパンキックから全日本キックに移籍して、
ドイツ遠征でWKAの世界タイトル獲ってきたんだった。
妙に記憶に残っているのが全日本キック移籍初戦で千葉友浩選手と戦った夜に、
一睡も出来ずにホテルで夜明けを待ったこと。
それまでは試合の日も結構眠れていたのだが、
それから寝れなくなった。
次の日に名古屋に帰ってパルコの上の階のキャッツカフェに行き、でかいパフェを食べたんだった。
そして8月にはいまだにオランダで試合があるとわざわざ観に来てくれるノエル・ソアレスという名選手とも戦った。
これも思い出。
ソアレスのボディブローを受け過ぎて肝機能障害になったのもこの年。
療養のため休んでいるときにハイスタンダードの横山健さんから電話がかかってきたのには、とてつもなく驚いた。
友達の皮痴くんが携帯でエロイサイトを見てしまい、
法外な金額を要求されて顔面蒼白で私の家に駆け込んで来たのもこの年だった。


なんとなく羅列して書いていると、しっかり思い出してくるものなんだな。
まだまだ頭はしっかりしているようで良かった。
まだ打たれ続けても大丈夫そうだ。


さきほど20歳の頃は激しく充実していたと書きました。
しかし、30歳の今、20歳の頃よりもたくさん考えているし、
20歳の頃よりも努力をしている。
そして20歳の頃よりも激しく充実している。


明るく生こまい
佐藤嘉洋