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私がキックボクシングを始めたとき、ムエタイというのは神格化されていて、ムエタイのトップファイター達は神のように扱われていました。
タイの田舎で一勝を上げた日本のキックボクサーが格闘専門誌で表紙になるくらいの扱いでした。
今ではムエタイのレベルが落ちたのか、他の世界のキックボクシングのレベルが上がったのか、
タイのトップが諸外国負けることは珍しいことではなくなりましたし、メジャースタジアムのルンピニースタジアムやラジャダムナンスタジアムで勝利することも、そんなに名誉なことではなくなってきたと言えるでしょう。
ムエタイのレベルが落ちた・・・うんぬんに関しては私個人的には、ムエタイのレベルが落ち、同時に世界のレベルも飛躍的に上がってきているのだと感じています。


私のジム、名古屋JKファクトリーは打倒ムエタイを掲げていて、かつての先輩である佐藤孝也氏、鈴木秀明氏はただただ愚直にムエタイのトップを倒すために、
小森次郎会長と共に強敵に立ち向かっていきました。
鈴木秀明氏はカチャスックやターチャナ、ソッドを破り日本でのムエタイキラーの名を欲しいままにしました。
そしてその直属の後輩である私佐藤嘉洋が打倒ムエタイの受け継ぎ、ルンピニー王者のガオランをWKAの防衛戦で破り、またルンピニースタジアムでは現役ランカーをKOで下し、ジムの夢でもあったタイ国メジャースタジアムへのランキング入りを果たしたのです。
タイのウェルター級以上は層が薄いとはいえ、先輩達がなしえなかった、この念願を叶えたとき私は本当に嬉しかったのです。
2004年。23歳でした。


この頃になると私の目線はムエタイを神格化したムエタイ幻想ではなく、ムエタイを冷静な目で見ることができるようになってきました。
そもそもムエタイ幻想を持っていたままでは、絶対にムエタイに勝つことはできない。
ムエタイをやっているから強いのではなく、強い人間がムエタイをやっているから強いのだ、と思うようになりました。


さて、なぜ私がムエタイを嫌いになったのか。
それはムエタイの競技に対する姿勢です。
ムエタイというのはそもそもギャンブルが根底にあります。
だから早期でのKO決着というのは、あまり好まれません。
悪く言えばギャンブラーに勝利さえ左右されてしまいます。
プロの形は100人いれば100通りあると私は常々言っていますが、100人いれば100人の考え方があるわけで、自分の中で受け入れられないプロの姿勢というものもあります。
ムエタイには私が受け入れられないプロの姿勢がいくつもあるのです。


まず一つめ。
最後に勝負を捨てる。


これはムエタイでは当たり前のことで、最終5R目に入ると勝っている方は流しにかかり、負けている方が少しだけ相手を追います。
しかし最終Rも一分過ぎると負けている方も手を出さなくなり、勝利を諦めます。
私は負けている方は最後の最後まで勝利を諦めてはいけないと思うのです。
高校くらいのときに先輩達に聞いたら、『タイ人は試合が年に10何試合もあるから最後は無理に勝負にはいかないんだ、お互い最後に怪我をしないように、負けている方も無理には勝負にはいかないんだよ』、と教えられました。
しかし今にして思えば、それは見に来てくれたお客さんに対して、そんな失礼なことはありません。
途中で勝負を捨てるような選手を応援してくれる人は少数でしょう。
7月5日に対戦する私と山本優弥選手は友人であり、プライベートでも親交がありますが、そんな馴れ合いはまったくありません。
試合になればお互い殺すつもりで戦うでしょう。
それが高いお金を払って観に来てくれるお客さんへの最低限の礼儀です。


またこれもムエタイ幻想の一つですが、『タイ人は最後の最後まで我慢して顔に表情を出さないんだ、倒れたら起き上がれないくらいのダメージだからダウンしたら起き上がれないんだ』、とも言われました。
しかしこれは違います。起き上がれないのではない、起き上がらないのです。
ダウン取られた時点で、判定までいったら負けが濃厚だから、もう起き上がらないのです。
次にすぐ試合があるから、途中で勝負を捨てたのです。
私にはわかります。そのダウンが起き上がることができるのか、本当に起き上がることができないのかが。


ムエタイはチャイスー(タイ語で戦う心)があるから強いと言われます。
違います。チャイスーはムエタイだからあるのではありません。
心の強い選手だからチャイスーが宿るのです。
それはムエタイもキックボクシングもK-1も変わりません。
心の強い選手にチャイスーが宿ります。


例えば私の先輩の鈴木秀明氏の最後の試合のアタチャイ戦。
後楽園ホールにいるほとんどの人が鈴木氏の勝利は諦めていたことでしょう。
しかし鈴木氏は目が見えない状態でも、ダウンを何回取られても、最後の最後まで勝利を諦めずに戦い抜きました。
だから見た目は無残な惨敗でしたが、観客の心には響いたし、セコンドについた私の目にしっかりと鈴木氏の背中が焼きついたのです。
この意思は自分がしっかりと受け継がなければ、と。


7月5日に戦う山本優弥選手との2005年2月の一戦にしてもそうです。
山本選手はダウンを6回奪われても最後まで勝負を捨てていませんでした。
自分の勝利の可能性を信じていました。


そして勝っている方が試合を流すことにも言及したい。
これはダウンなどを取って完全に勝利が揺るぎないときには、ひとつの作戦として逆転負けをしないように守りきるというのは勝負師としては当然の選択なので私は何も言いません。
しかしムエタイのリングではどっちが勝ったかわからない勝負でも最終Rは流して、ラウンド中にお互い勝った勝ったとアピールします。
私はそんなアピールをしている暇があったら一発でも攻撃を放てよ、とムカムカします。
あの姿は同じプロとしてとても恥ずかしく感じてしまうのです。
そんな僅差をアピール合戦で勝利をアピールするのではなく、完全な勝利を持って試合を終えてほしいのです。
これもムエタイのギャンブル性が僅差の勝負を好むからなのかもしれませんが、私には理解できません。
そんなアピール合戦で勝負が左右されるような試合なら私はもう負けで構いません。
誰が見ても勝利だという試合ができなかった時点で私の負けです。


二つめ
相手に対して、なめたような態度をする選手が多い


ムエタイのトップ選手が日本に来て日本人が簡単にやられていく姿を私は何度も見てきました。
圧倒的な実力差、技術差に高校生くらいだった私はすっかりムエタイ幻想にはまりました。
ただただムエタイはすごい、強い、と。
そのムエタイ幻想のおかげで初めて戦ったタイ人との戦いは見事な1RKO負けでした。
確かにそのタイ人も強かったと思うのですが、きっと私は勝負の前にすでに自分に負けていたのでしょう。
しかし、私はその試合には見事に負けましたが、そのタイ人をどうしても尊敬することができませんでした。
なぜなら試合中にリング上でツバを吐いたからです。
鼻血が詰まって呼吸のために血ヘドを吐くなら仕方ありませんが、試合開始直後にリングにツバを吐くとは何事かと試合中に思ったものです。
そうやって余裕ぶって相手を威嚇しているのでしょうが、相手やリングに対する尊敬がない選手を私は尊敬することができません。


試合中に相手をからかって試合をする選手もいます。
アゴを突き出したり、お尻を突き出したり、とにかく余裕ぶった選手は嫌いです。
お前は何様だと言いたい。
ただ人より少し強いだけの死んだらただの灰になる、ただの一人の人間だぞと。
サーマートのような天才的な選手は確かに凄い選手です。
しかし、ファイターとしては凄いと思うが、人間的には尊敬できません。
それよりもサーマートには1RでKOされたが、愚直に前に出続けるパノントワレックの方が尊敬できます。


在日タイ人も昔の栄光の余力にすがって日本人ファイターを老獪にいなし、なめたようなファイトをする選手が多い中、ウィラサクレックジムのクンタップ選手なんかは、相手を馬鹿にせずに真面目なファイトをするので私は好きです。
同じK-1ファイターならペトロシアンはムエタイスタイルですが、絶対に相手を馬鹿にしたような態度は見せないし、最後まで相手を追い詰めていくファイトをするので、私は彼のファイトスタイルを本当に評価しています。


私は自分が今まで戦ってきた選手に対して、私と戦ってくれてありがとうという念を持って生きています。
それは勝った選手に対しても、負けた選手に対してもです。
他での活躍も嫉妬も少し混じりながらですが、心から願っています。
なぜなら私が戦ってきた選手が他で勝って評価を上げれば、私の誇りになるからです。
だから、戦ってきた選手に対して無礼があってはなりません。
相手に対して有効な作戦を立てて追い詰め、
最後の最後まで勝負を諦めずに戦い抜くことが私の死ぬまでの命題です。


明るく生こまい
yoshi-HERO