自転車でジムに向かっているとき、ふと空を見上げました。
太陽が早く沈みました
それも真っ逆さまにストンと。
本当に一瞬のことだったので、私は夢でも見ているのかと思って、目を疑いました。
写真撮ってみたけど、全然この凄さが伝わる写真ではありませんね。
これを実物と同じくらいか、またはそれ以上に撮れる人が、きっとプロのカメラマンになれるんでしょう。
人は太陽が昇る時と沈む時にだけ、目を奪われがちです。
でも多分途中の段階でも、ものすごいスピードで動いているんだよね。
ただ私たちがそれを見ていないだけで。
きっと物事も一緒です。
皆は太陽の昇るときと、落ちるときしか、ちゃんと見ていない。
途中のときは、あまり注目されません。
それでも陽が登っている間はいいんですよ。
まだ上を見上げれば、その姿を確認することはできるから。
一番辛いのは陽が沈んだときです。
誰の目にも映ること無いからです。
もし陽が沈んだときに、そこで太陽が進みを止めてしまえば、陽は二度と登ることはありません。
しかし、太陽はそこで進みを止めることは決してありません。
だから明日もまた太陽は登るのです。
物事も一緒だと思います。
人が見ていないときも決して歩みを止めず、同じペースで歩みを進めていれば必ずまた陽は登る。
別に急がなくていい、無理のないペースでいい。
ただし陽が登るまで、いや、登ってからもずっと同じペースで何かを積み重ねていく。
そして、またいつか陽は沈みます。
そして、進みを止めなければ、またいつか陽は昇ります。
そして、またいつか陽は沈みます。
「陽はまた昇る」
と歌や映画や本でよく言われます。
でもそれは、陽が沈んでいるときにも進みを止めない場合のみです。
進みを止めているのに、ああまた陽が昇ったらいいなあ、とぼーっとしてる奴は、一生昇らないまま終わりです。
私が保証します。
また、
「陽がまた昇る」
というのは言葉足らずです。
正しくは
「陽はまた昇る、そのあと沈む。
進みを止めなければ、陽はまた昇り、また沈む」
です。
そういうもんなんだよ人生は。
31年しか生きてないけど、少しずつわかってきたぞ、と。
死ぬまで進んでやろう。
昇っていようが、沈んでいようが、自分のペースで。
私は私の太陽、あなたはあなたの太陽が進みますように。
ふふ、なかなか面白い自転車通勤でしょう。
伊達に毎日往復で90分電動自転車漕いでませんよ。
明るく生こまい
佐藤嘉洋
太陽が早く沈みました
それも真っ逆さまにストンと。
本当に一瞬のことだったので、私は夢でも見ているのかと思って、目を疑いました。
写真撮ってみたけど、全然この凄さが伝わる写真ではありませんね。
これを実物と同じくらいか、またはそれ以上に撮れる人が、きっとプロのカメラマンになれるんでしょう。
人は太陽が昇る時と沈む時にだけ、目を奪われがちです。
でも多分途中の段階でも、ものすごいスピードで動いているんだよね。
ただ私たちがそれを見ていないだけで。
きっと物事も一緒です。
皆は太陽の昇るときと、落ちるときしか、ちゃんと見ていない。
途中のときは、あまり注目されません。
それでも陽が登っている間はいいんですよ。
まだ上を見上げれば、その姿を確認することはできるから。
一番辛いのは陽が沈んだときです。
誰の目にも映ること無いからです。
もし陽が沈んだときに、そこで太陽が進みを止めてしまえば、陽は二度と登ることはありません。
しかし、太陽はそこで進みを止めることは決してありません。
だから明日もまた太陽は登るのです。
物事も一緒だと思います。
人が見ていないときも決して歩みを止めず、同じペースで歩みを進めていれば必ずまた陽は登る。
別に急がなくていい、無理のないペースでいい。
ただし陽が登るまで、いや、登ってからもずっと同じペースで何かを積み重ねていく。
そして、またいつか陽は沈みます。
そして、進みを止めなければ、またいつか陽は昇ります。
そして、またいつか陽は沈みます。
「陽はまた昇る」
と歌や映画や本でよく言われます。
でもそれは、陽が沈んでいるときにも進みを止めない場合のみです。
進みを止めているのに、ああまた陽が昇ったらいいなあ、とぼーっとしてる奴は、一生昇らないまま終わりです。
私が保証します。
また、
「陽がまた昇る」
というのは言葉足らずです。
正しくは
「陽はまた昇る、そのあと沈む。
進みを止めなければ、陽はまた昇り、また沈む」
です。
そういうもんなんだよ人生は。
31年しか生きてないけど、少しずつわかってきたぞ、と。
死ぬまで進んでやろう。
昇っていようが、沈んでいようが、自分のペースで。
私は私の太陽、あなたはあなたの太陽が進みますように。
ふふ、なかなか面白い自転車通勤でしょう。
伊達に毎日往復で90分電動自転車漕いでませんよ。
明るく生こまい
佐藤嘉洋