薬丸岳「最後の祈り」 | 八ヶ岳南麓の里小屋から -for comfort life-

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静岡県と山梨県、2拠点居住のおじさんです。思ったこと、美味しかったこと、楽しかったこと、等々を気ままに綴っていきたいと思います。

このブログは、読者の皆さんに少しでも「楽しかった」とか「良い情報だった」といった”ポジティブな気持ち”になってもらえたら…という気持ちで書いています。

 

しかし、時にはこんな「問題提起」的なことも書いてみようと、重めではありますが最近読んだ本を紹介したいと思います。

 

薬丸岳さんの”教誨師”を主人公にした”考えさせられる”物語でした。「うーん、最後はどうなるんだろう?」と、どんどん読み進めてしまいました。そして、読み終えた後で薬丸さんの本作に対するコメントを見つけました。

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「死刑になりたいから人を殺した」「誰でもいいから人を殺したかった」世間で”無敵の人”と呼ばれる凶悪犯には心がないのか。

いや、そんなはずはないという祈りを込めました。ぼくの作品の中で最も重く苦しい物語です。どうか覚悟してお読みください。
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そうです。
「俺は死ぬ(死刑)ことで罪を受けるんだから人を殺したことを反省などしていない」という”無敵の人”問題に薬丸さんらしいアプローチで読者に投げかける作品に仕上がってました。

概要はAmazonから引用します。
殺人犯と、娘を殺された父。 死刑執行を前に、 命懸けの対話が始まる。娘を殺した男がすぐ目の前にいる。贖罪や反省の思いなど微塵も窺えないふてぶてしい態度で。


東京に住む保阪宗佑は、娘を暴漢に殺された。妊娠中だった娘を含む四人を惨殺し、死刑判決に「サンキュー」と高笑いした犯人。牧師である宗佑は、受刑者の精神的救済をする教誨師として犯人と対面できないかと模索する。


今までは人を救うために祈ってきたのに、犯人を地獄へ突き落としたい。煩悶する宗佑と、罪の意識のかけらもない犯人。死刑執行の日が迫るなか、二人の対話が始まる。

印象的だった個所です。

まずは前半、教誨師・宗佑の想いです。「あの男に生きたいと、もっともっと生きていたいと思わせた上で、死ぬ直前に地獄に叩き落す言葉を突き刺したい」読んでいて「ほほう、そういうことができたら良いかも」などと思いました。

しかし、宗佑は死刑囚・石原に対する教誨により会話を進めていくと考えが変わってきます。「この前、石原の教誨をするまでは娘の無念を晴らしたいと思っていた。

 

だけど、あの日、自分の中で何かが変わったんだ。うまく説明できるか分からないけど、私と会いたいから生かしてほしいと神様に初めて祈ったと石原から聞いて、私の言葉を聞いてからあの世に逝くと知って少しほっとしたと言われて、できることなら彼を許せるようになりたいと願うようになった。

 

自分の娘を惨殺したあの男を、そうしなければ私は死んでも救われないんじゃないかと」うーむ、薬丸さんは最初は読者に「復讐しちゃえ!」と思わせた上で、「やはり許すことが大切」と思わせるように上手に物語を進めていきます。

最後に訪れる執行直前の死刑囚・石原との対話…

宗佑は彼を許します。そして、宗佑の言葉…由亜(殺された娘の名)、由亜、すまない。「…君の罪は許されている。私が…私が…許した」それまで自分の手に伝播していた石原の頬の震えが収まった。

 

薬丸さん、やはりそうしましたか~!

というのが多くの読者の感想だったでしょう。

以降は僕のつたない感想です。


物語の最後は「教誨師 vs 死刑囚」という場面になることは容易に想像できるのですが、その対話がどうなるのか?は読者により別れるのではないかと思いました。


僕は性格がひねくれてる(というか良くない)ためか、「最後は死刑囚に対し、死の直前に地獄に落としちゃえ」なんて思いましたが、薬丸さんは違いましたね。


薬丸さんご自身が「ぼくの作品の中で最も重く苦しい物語」と言っている通りの物語ですが、読了後の気持ちは穏やかになれると思います。

以下、僕の以前のブログの関連記事です。

興味があればご参照ください。

「単身赴任おじさん日記」中の薬丸岳さん作品(計21投稿)

 

風が弱まり穏やかな天気になった八ケ岳南麓にて

 

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