「筑紫哲也氏を悼む」共同通信系配信 | 一撃筆殺仕事人:佐高信先生追っかけブログ

「筑紫哲也氏を悼む」共同通信系配信

共同通信配信で先日なくなられたニュースキャスターでジャーナリストの筑紫哲也氏への佐高信さんの追悼文が掲載されました。

音楽ってすばらしい♪さんに転載されていましたので引用させていただきます。
http://jr3qnh-masa.blog.drecom.jp/archive/295

昨年の5月5日、信州は松本の神宮寺で行われた「尋常浅間学校」(永六輔校長)で一緒になり、近くの旅館に泊まって風呂に入りながら話したのだが、しきりにせきをしているのが気になった。すぐに検査入院をするということで、そのまま療養生活に移ったと聞いて、あのせきの深さを心配していた。それが杞憂に終わらなかったことが残念でならない。

 筑紫哲也さんと私は、ちょうど十歳違う、いつも笑みを絶やさない筑紫さんは、私にとって、とても頼りになる兄貴分だった。数年前に、年配者から墨痕淋漓たる抗議の手紙をもらったことがある。共に編集委員をしている雑誌「週刊金曜日」あてであったが、その大半が筑紫批判で、「そんな筑紫と一緒に反日的な言論活動をしているおまえはケシカラン」という内容だった。

 要するに私は、ツケタシである。それを筑紫さんに見せて、だから元気でいてもらわなければ困りますよと笑ったのだが、いわばその「防波堤」に亡くなられて、いや応なく前線に立たされてしまったという感じがする。

 筑紫さんが政治記者として担当したのは、自民党の三木(武夫…字が違うような?でも新聞では)派だった。少数派閥である。これが筑紫さんの人生を象徴している。最近は、少数派の立場に立たず、多数派の代弁者となっている、マガイモノのジャーナリストばかり目立つが、筑紫さんは最期まで少数派の立場に立ちつづけた。

 政治的な少数者は文化でしか多数派に勝てない。そのことをよく知っていた筑紫さんは雑誌「朝日ジャーナル」の編集長としてもテレビのニュースキャスターとしても、“軽チャー”を含めた文化にこだわった。

 取り上げる新人類が軽薄だと非難されても、文化に目配りのない硬派やリベラリズムの試みは読者に届かないと反論して、それをやめなかったのである。

 「俳句界」という雑誌で対談して筑紫さんをあわてさせたことがある。筑紫哲也の知られざる一面に、早稲田大学時代、男声合唱団グリークラブに入っていたことがあると突きつけた時だった。

 「な、な、何を言い出すんですか」とひるんだ筑紫さんは「知られざる」ではなく、「知られたくない」一面だと告白していた。

 その好奇心の強さと広さ、反戦平和の護憲の立場を譲らなかった骨っぽさ。失ってあらためて知る筑紫さんの存在の大きさである。(評論家)



ニュースキャスター筑紫氏に批判的なコメントとしては上杉隆氏が発表されています。
http://diamond.jp/series/uesugi/10053/

 

ニュースキャスター (集英社新書)/筑紫 哲也
¥693
Amazon.co.jp


天晴れ!筑紫哲也NEWS23 文春新書 (494)/中宮 崇
¥840
Amazon.co.jp
佐高さんは夕刊フジでも追悼コメントを出していますが、筑紫氏が朝日ジャーナル編集長時代に佐高さんの持っていた連載「企業探検」において企業側からの圧力からの盾になってくれたことを回想されています。