こんばんは!
今日は晩にブログを更新できたので、龍神タイムに入る前に、僕が人生で2度心の病になってしまったことについて書きたいと思います。
僕は前にも書いたように、サッカーをバリバリしてて何度も挫折を乗り越えたこともあり、メンタルと身体には絶対の自信を持っていました。
1回目は約5年前、重症の椎間板ヘルニアになってしまい左脚先から付け根にかけて痺れと激痛に襲われました。
あまりの痛みに起き上がれず、どんな姿勢でも激痛でした。
手術後、痛みのない身体に戻れた時の喜びはもしかすると今までで1番嬉しかったかもしれません。
僕が心の病になってしまったのは、直接的には椎間板ヘルニアが原因ではなく、その後の社会復帰をする場面でした。
仕事柄、軽いフットワークが求められるなか当時組んでいた方がイラちな性格だったため、焦って復帰した僕はまるでボクシングのサンドバッグ状態でした。
腰痛自体が他者になかなか受け入れられないことや、椎間板ヘルニアの恐怖から身体が以前のように機敏に動けないことが、徐々に自分自身を追い詰め、主任の「今が頑張り時だ!」という言葉かけで一気に崩れ去ってしまいました。
あの時は本当に暗く長い、先の見えないトンネルにはまってしまったようでした。
リハビリを経て、復帰することがこんなに難しく、周囲の理解も全くないんだと自分自身と周囲に絶望していました。
そんな時、救ってくれたのが心療内科の先生でした。
自分自身がまさかこの病院に来るとは、想像もしてませんでしたが、来る以外に解決策が見つかりませんでした。
幸い先生のおかげで、僕はゆっくりとトンネルから抜けて、ゆっくりと社会生活を送ることができました。
この経験、おそらくたくさんの方々が経験されてきたんじゃないかと思います。
この絶望感はほんとに辛く、誰にも打ち明けられず、理解されず、解決策が見つからないまま闇に落ちていく状態なんです。
今の社会は、この状態にまだまだ理解が浅く、ゆっくりと働くことは許されない雰囲気があります。
少しずつ変わっていってほしいと思いますね。
②は引き続き、この後書かせていただきます。
今日は晩にブログを更新できたので、龍神タイムに入る前に、僕が人生で2度心の病になってしまったことについて書きたいと思います。
僕は前にも書いたように、サッカーをバリバリしてて何度も挫折を乗り越えたこともあり、メンタルと身体には絶対の自信を持っていました。
1回目は約5年前、重症の椎間板ヘルニアになってしまい左脚先から付け根にかけて痺れと激痛に襲われました。
あまりの痛みに起き上がれず、どんな姿勢でも激痛でした。
手術後、痛みのない身体に戻れた時の喜びはもしかすると今までで1番嬉しかったかもしれません。
僕が心の病になってしまったのは、直接的には椎間板ヘルニアが原因ではなく、その後の社会復帰をする場面でした。
仕事柄、軽いフットワークが求められるなか当時組んでいた方がイラちな性格だったため、焦って復帰した僕はまるでボクシングのサンドバッグ状態でした。
腰痛自体が他者になかなか受け入れられないことや、椎間板ヘルニアの恐怖から身体が以前のように機敏に動けないことが、徐々に自分自身を追い詰め、主任の「今が頑張り時だ!」という言葉かけで一気に崩れ去ってしまいました。
あの時は本当に暗く長い、先の見えないトンネルにはまってしまったようでした。
リハビリを経て、復帰することがこんなに難しく、周囲の理解も全くないんだと自分自身と周囲に絶望していました。
そんな時、救ってくれたのが心療内科の先生でした。
自分自身がまさかこの病院に来るとは、想像もしてませんでしたが、来る以外に解決策が見つかりませんでした。
幸い先生のおかげで、僕はゆっくりとトンネルから抜けて、ゆっくりと社会生活を送ることができました。
この経験、おそらくたくさんの方々が経験されてきたんじゃないかと思います。
この絶望感はほんとに辛く、誰にも打ち明けられず、理解されず、解決策が見つからないまま闇に落ちていく状態なんです。
今の社会は、この状態にまだまだ理解が浅く、ゆっくりと働くことは許されない雰囲気があります。
少しずつ変わっていってほしいと思いますね。
②は引き続き、この後書かせていただきます。