こんばんは〜

 

 

 

 

今日は『オレの中古車』のオイル交換。

 

 
1年落ちのこの車、エンジン始動すらされずにずっと放置されていたのではと思うような走行距離だったのですが、特に問題無く走ってくれています。
以前所有していた『新車なのにポンコツ』が本当に酷かったため、普通に走る車って最高だな なんて思いながら運転しています。
 
 
 
 
さて、近所のクリニックで大腸がんが発覚してから4年経過しました。
あの日は14時から検査で、鎮静剤の効果が薄れるまで2時間ほど横になり、その後先生に直腸S状部に大きな腫瘍が写っている画像を見せられ、「身辺整理をしないとな……」なんて思いながら夜道を歩いて帰ったのを覚えています。
 
 
 
 
特に自覚症状はなかったので、発覚するひと月前はグアムの友達の所へ行ってこんなことをしたり元気に遊んでいました。
 
 
 
 
 
話を戻し、告知されてから数日後にCT検査を行うことになったのですが、手術で腫瘍を取る必要があるからそれまでに病院を決めておくよう言われました。
と言われてもどの病院が良いかなんてわかりません。後々病院別年間手術数のリストなどを知ることになるのですが、当時は調べることすら思い浮かびませんでしたね。
 
話が前後しますが、そもそもクリニックへ行った理由は、ある日便に血の筋が付いていることに気づき「おっとこれは痔かもしれない! いや、まさかのガン?」と思ったからです。
近所のクリニックとは言っても内視鏡検査を実施しているところはたくさんあり、事前に先生の経歴を調べてから行きました。
軟部肉腫というガンで亡くなった兄が一時期お世話になっていた大学病院出身の先生でしたので、そのまま紹介状を書いてもらいました。他にどの病院が良いのかなんて知りませんでしたし。
 
紹介状を書いてもらったあとで色々と調べるようになり、東京の大腸がん手術数ランキングでは都内で15位辺り、全国で50~60位ぐらいと知りました。当時も今も都内で一番多いのはガン研で、次は虎ノ門病院ですね。
一瞬年間手術数が多い病院の方が良いのか?なんて思ったのですが、結果的に今の病院で良かったです。他の病院だったら左右9個の肺転移も手術してくれなかったと思いますし。
 
2019/12/23に手術日が決まり、手術後は当分出来ないだろうと翌日から連日ジムに通って筋トレを強化しました。
しかし入院前日にやり過ぎてクレアチンキナーゼの値が8000ぐらいになってしまい「何か飲んでます? 数値が高すぎてこのままだと手術できないかもしれませんよ?」と言われてしまいました。筋肉が溶けると上がるそうです。
そのため入院当日から点滴針を刺され生理食塩水でウォッシュアウトを行いまして、翌日には無事数値が下がりました。
 
硬膜外麻酔無しだったせいか、術後は物凄く痛かったです。(肝転移手術の時は硬膜外麻酔有りで楽でした)
「今の痛みは10段階でいくつですか?」なんて手術直後やICUで聞かれたのですが、そもそも10段階の定義がわからない。
たぶん死んでしまうような痛みが10なのだろうと「5か6ぐらいです」なんて答えたのですが、実際は今まで経験した痛みのなかでどのぐらいの段階なのか?ということだったんですね。
今なら迷わず「15000」と答えます。
 
術後1週間ほどで退院し、確か手術から24~25日目には自転車で通勤し始めました。当時はまだリモートワークが始まっていなかったので。
自転車の振動が腹の傷に響いたのと、手術したのが直腸にかかる部分だったせいか、いきなりトイレに行きたくなる排便障害が10か月ほど続きました。
 
大腸がんのせいで行けなくなったスキー。1回ぐらいは行ってやろうと、実家でタイヤ交換をした晩に激しい腹痛に襲われ1時間ほど動けなくなりました。腹の中で何かが剥がれてしまったんですかね? 病院へ行った方がいいか迷いましたが、そのうち治まったので自宅へ戻りました。
そして手術からひと月後に白馬へ滑りに行くことが出来ました。
家からスキー場まで道路に雪が全く無く、滑り始めて直ぐに雨が降り始め、パンツびちゃびちゃのまま帰宅するというなんともしょっぱい日帰りスキー旅行になってしまいました。
一度重たい雪に足を取られて派手にコケてしまい腹に響いたときには、これは吻合部が裂けたかもしれないと思いました。
 
 
CT画像では転移の形跡がありませんでしたし、この時点では「手術で腫瘍を取ったからおしまい」なんて思っていました。
その後肝臓と肺に転移し、2021年/2022年と手術することに。
現在再発は無い状態です。
 
次回2月にCT検査と大腸内視鏡。
 
 
 
 
 
 
今日の曲は
『Immortals 』ーFall Out Boy