エホバの証人には、ことあるごとに寄付について触れて、寄付を募ります。

 

しかも、災害に見舞われた人への援助としての寄付を、世界的な業のための寄付と一緒にするように勧めています。

 

https://wol.jw.org/ja/wol/mp/r7/lp-j/w24/2024/748

 

 

つまり、ハリケーン、台風、地震、津波、その他の災害にあった人たちを思って、一生懸命寄付したとしても、それが一体、どれほど、災害のために使われたのか、あるいは、ベテルや、大会のために使われたのか、全くわからないのです。

 

 

この「被災者のための寄付」と「世界的な業のための寄付」を一緒にすると言うのは、非常に巧妙な方法です。信者に、被災者のかわいそうな人たちの映像を見せて、感情に訴えかけ、寄付を募りますが、実際には、「世界的な業のための寄付」として受け付けており、ベテル奉仕者や、統治体など、違った用途で使われていることがほとんどです。

 

しかし、そもそもなんですが、一世紀において、寄付とは、誰のためのものなのでしょうか

 

調べてみると、

 

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1102021617

 

 

使徒 11:29,30,ロマ 15:25-27,コリ一 16:1-3,コリ二 9:5,7

 

上記の聖句が書かれていますが、それらすべては、誰のためでしょうか

 

ぜひみなさんに自分で調べていただきたいのですが、すべてが、救援のため、貧しい人のために使われたのです

 

使徒たちのため、旅行する監督であった、パウロのために使われたという記録はありません。(個人的に誰かが金銭や物品を与えた可能性はありますが、会衆として、寄付を募るという記録はありません。)

 

実際パウロは、自分で働いて稼いでおり、他の人からもらったお金で生活をする人を非難していました。

https://wol.jw.org/ja/wol/b/r7/lp-j/nwtsty/53/3#s=8&study=discover

 

 

 

 

イエスがまだ地上にいた時代は、確かにやもめが神殿で寄付をしている場面がありました。しかし、それはまだクリスチャンの時代が来る前の話で、神殿で働く祭司たちへの寄付だと思います。しかし、イエスの昇天後、クリスチャンの時代が始まり、神殿の取り決めはなくなりました。

 

では、なぜエホバの証人は、そこまで、寄付をあつめようとするのでしょうか

集めた寄付のすべて、すくなくとも大部分は、貧しい人のために使われているのでしょうか。

災害がなくとも、貧しい人に援助しているのでしょうか

 

なぜすべてを「世界的な業のための寄付」として一緒くたにしてしまうのでしょうか。

 

おかしいとおもいませんか。みなさんはどうおもわれますか。