以前にこんな記事を書きました。

 

 

 

 

ある種の慣行に関して、厳密に起源をさかのぼって異教のものかどうかではなく、今どのようにみなされているかということです。前述のブログ記事でも書きましたが、ピニャータは受け入れてもよいとのことです。

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おもに考えるべきなのは,その慣行が何百年も前にどんな意味を持っていたかではなく,現在,自分の住んでいる地域でどのようにみなされているかということです。言うまでもなく,その見方は場所によって異なるでしょう。ですから,そうした事柄を大きな問題にしないのは賢明なことです。聖書はこう述べています。「おのおの自分の益ではなく,他の人の益を求めてゆきなさい」。 

目ざめよ!2003年9月22日号の記事

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別の記事では、こうありました。

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ある種の物品,意匠,慣行の起源が古代の偽りの宗教にある,もしくは類似したものがそこに見受けられるからといって,真の崇拝者が必ずしもそれらを避けなければならないわけではありません。 .......  また,結婚指輪にもかつては宗教的な意味合いがありました。しかし今日,ほとんどの人はそのことを知らず,結婚指輪をするのは結婚していることのしるしである,とみなされているにすぎません。 

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1971769#h=13:45-22:0

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では、これを日本のハロウィーンに当てはめてみましょう。

ハロウィーンは、確かに、アメリカにおいては、死んだ人の霊が返ってくるときの祭りのようです。そのため、お化けの格好をして、仮装します。

 

日本ではどうでしょうか。お化けや悪魔、魔女、の仮装というわけではなく、ゲームやアニメキャラや、有名人、お姫様など、面白いものとかに仮装します。つまり、仮装すること自体が目的になっています。実際、ハロウィーンの起源が、アメリカではなく、キリスト教でもなく、ケルト民族のものでしたが、それを知っている人はほとんどいません。つまり、ハロウィーンの仮装していたとしても、それがどこかの宗教だと思うより、単なるどこかの外国の習慣をまねして、さらに、日本化して、仮装大賞のようになっているとしかいえないのではないでしょうか。

 

では、お菓子を配ったり、もらったりするのは、どうでしょうか。

エホバの証人は、お正月に、「おめでとう」とはいいませんが、お年玉をお小遣いとして受け取ったり、お小遣いとして渡したりしています。エホバの証人同士ではあまりしないかもしれませんが、世の(エホバの証人ではない)親戚とはします。

では、ハロウィーンの際に、お菓子をあげたり、もらったりするのも、単なるギフトとしてであれば、いいということになりませんか。

 

前述の資料に、こうありました。

「おもに考えるべきなのは,その慣行が何百年も前にどんな意味を持っていたかではなく,現在,自分の住んでいる地域でどのようにみなされているかということです。言うまでもなく,その見方は場所によって異なるでしょう。」

では、自分の住んでいる、日本という「地域でどのようにみなされているか」を考えるとどうでしょうか。アメリカでは、だめなことでも、日本では、大丈夫ということもあり得るということです。ハロウィーンをすると、つまづくのは、誰でしょうか。世の人たちでしょうか?いえ、世の人たちは、ハロウィーンの起源について知らず、関心もありません。ハロウィーンをして、つまづくのは、会衆の長老たちだけでしょう。

 

起源はさておき、現在その地域でどう思われているかが大切なのであれば、日本においてハロウィーンは問題ない、もしくは個人的な良心の問題ではないでしょうか。