みなさんは、ピニャータってご存じですか。

メキシコの風習で、星形や馬の形をしている、キャンディーがいっぱい入ったくす玉を子供たちが棒でたたいて割るっていうものです。




 

 

 

調べたところによると、メキシコでは、クリスマスや、誕生日会、お祭りの時にやるようですね。簡単に由来としては、ずっと昔にキリスト教の宣教師が、クリスマスの時期に子供たちにさせたようで、まあ、邪気を払うようの感じだったのでしょうか。

 

 

さて、みなさん、ここで質問です。ピニャータ割りはエホバの証人はやっていいでしょうか。

 

もちろんダメ!!と思った皆さん。わたしもそう思っていました。しかし、よく調べてみると、良心上の判断だそうです。

 

びっくりしましたか??? わたしはびっくりだったんですが、もっとびっくりなのがその理由!!!

 

え?!本当に?!  じゃあ、実際に資料を見てみましょう!

 

目ざめよ!2003年9月22日号の記事

 

 

 最後のところの抜粋

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クリスチャンは,社交的な集いにピニャータを取り入れるかどうかを考慮する際,他の人の良心に気を配るようにします。(コリント第一 10:31-33)おもに考えるべきなのは,その慣行が何百年も前にどんな意味を持っていたかではなく,現在,自分の住んでいる地域でどのようにみなされているかということです。言うまでもなく,その見方は場所によって異なるでしょう。ですから,そうした事柄を大きな問題にしないのは賢明なことです。聖書はこう述べています。「おのおの自分の益ではなく,他の人の益を求めてゆきなさい」。―コリント第一 10:24

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え!?  じゃ、やってもいいんだ?! しかも、その習慣の起源が問題じゃなく、今どう思われているかが大切だって。

 

これを見て、皆さんたくさんの疑問がわきませんか?

え?!じゃ、誕生日は? バレンタインデーの時にチョコを挙げるのは?義理チョコは?ホワイトデーは? お歳暮、お中元は?お年玉は?クリスマスのケーキは?ハロウィンで仮装するのは?  正直、現在特に、日本では宗教的な意義ってないものが多いよね? じゃあ、いいんじゃないの?少なくとも個人個人の判断でいいってこと?

原則思考がすすめらている中、個人個人が判断するってのはアリじゃない?これはいい、これはだめっていう規則じゃなくて、


安心してください。、協会はそんな質問に答えています。


04年7/8 読者の声 



抜粋

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クリスチャンは,聖書の原則に反する偽りの宗教の信条や活動と今なお関係のある祝いや慣習は一切避けます。例えば,聖書は誕生日の祝いを容認できないものとしています。(創世記 40:20。マタイ 14:6-10)しかし,どんな慣習にせよ,現在では偽りの宗教に関連した意味はなく,聖書の原則を侵すものでもないことが明白であれば,クリスチャンはそれぞれ,そのような慣習に従うかどうかを自分で決めなければなりません。

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ん?!よくわからない。誕生日とかって、少なくとも日本では宗教に関連した意味はないよね。じゃあ個人の判断じゃないの?でも前置きで誕生日はダメって言ってる。なんか矛盾している。


原則で考えるように勧めているわりには、やはり規則集を作ってるよね。