このところの病状や体調の変化を、ほぼ時系列に沿って

まとめてみました。話が“下”に向かうことは避けられず、

しい表現のままで聞き苦しい点もあるかもしれません

が、お許しください。



先週木曜(10/15)のデイの入浴後、帰ってそのままヘルパ

ーさん1.5時間の生活援助に入る。その後に業者との打ち合

わせも。翌日は800にヘルパーさんが入り1時間、930

から障害者在宅支援係などのメンバーが集まり始め、役所

からの3人に保健婦さん、ケアマネさんほかそうそうたる

顔ぶれ11人が集結して、俺の介護に関わる「担当者会議」。


結局前日に続き、小用を足せるまで5時間もの間を我慢。

こんなことが響いたか、金曜の午後から発熱と共に尿道炎

と膀胱炎を併発。

家庭医のI先生に緊急電話相談し、風邪薬と共にいただい

ていた抗生物質を飲み、水をガブガブ飲んで寝た。

おかげさまで連休明けと共に熱も37.7°から36.9°の微熱

程度までおさまった。


 

10月からケアマネさんもK・Mさん(偶然とはいえギターの

山本クンも旧知の人だったのでビックリ!)に代わり、介

護計画も大きく変わった。

その第1弾が毎週月曜1600からの訪問入浴。その1回目が

10月12日。

A・S社は今回初めてのお付き合い、230代の若いチームで

まだお互手探り状態。善し悪しを言う段階ではない。


この日佐野から指令が飛んだか!?なんと江古田のE子さん

が手作りのサラダや果物持って飛んできた。お母さんお勧め

の、膀胱炎には一番だというサイダーも!

普段から炭酸飲料を飲まない俺だが、ン十年ぶり?懐かしい

サイダーを口にした。幼い日の夏の日、北松本駅前のかき

氷屋の思い出。


そして江原町から古い付き合いのWさんが、お見舞いにと

東急の豪華お寿司(いつものバッテラ!という俺のわがまま

な希望)を差し入れてくれ、散歩のNさんも顔見に寄って

、そして例の器用なKさんはNewフットリフタ―の製作を。

ミシン持参で採寸しながら3時間もかけて、ああだこうだと

云う俺の要望を取り入れて作ってくれた。

俺の身を心配してくれて、俺のために動いてくれている方

達を無に出来ない。

入浴後の疲れもあって、ウトウトしながら無理して付き合

ってしまい、かえって失礼した。



10月からの新介護計画。

毎朝800830の身体介護にヘルパーさんが入るのは変

わらず。夜、まだ時間が確定していないが700900位

までの間に30分、ナイトケアとしてヘルパーさんが身体

介護に入ることになった。

この利用プランを受容する、利用する立場が俺?俺?

誰のためなのか、周りの皆さんはみな俺のために走り回って

くれている。それなのにだ?もうひとつ腹の底に収まらない。


800からの30分は排便とその処理のためです。

皆さんに聞いてみたい!365日毎朝決められた時間に、決め

られた5分間で排便出来ている人いますか?

周りをガタガタうろうろヘルパーさんが片づけ仕事している

部屋でですよ。 “尻を剥き唸るひと時いと悲し”

人間としての尊厳を自ら放棄しなければ、とてもじゃないが

出る物も出やしない。

ほんの23週間のことなのに、あれ、どうしてって思うほど

病勢が進む。

昨日まで出来ていたことが出来なくなるって辛いもんだね。

もう後戻りはないんだから・・・

先月まで排便もその後の処理もキチンと自分で出来ていた。

生来、消化器系の内臓が丈夫で、腹をこわしたり食欲がなく

なるなど、ほとんど経験しないできた。下痢もしなければ

便秘もなし、親に感謝の恵まれた体だった。

それがある日を境に出来なくなったのは、自分で自分の尻を

拭けなくなったから!

体幹のパワーっていうか、姿勢を保持する腹背筋などの力が

ガクッて落ちたからだ。

この時もポータブルトイレに架けたまま手を尻に回した姿勢

で前かがみになり、起き上がれない!

首に架けた携帯から、地域協力員にもなってもらっている

KサンにSOS

上体を引き上げるためだけに仕事を放り出して駆けつけて

もらい、事なきをえた。



毎朝30分の身体介護は、排便の手伝いとその後処理の時間。

尻が拭けてる間は、プライドにかけてもヘルパーさんが来る

までに自ら用足しを済ませ、後片付けだけお願いしていた。

さすがに俺も、自分の尻を人任せにしなければならなくな

ったショックからか、2日ばかり便秘になってしまった。

(ベテランのヘルパーさん曰く、そんなの便秘のうちに入

らないよだって。寝たきりになるともっとひどいことになっ

て、腹を押して絞り出すようにするんだって!)

身体介護は同性介助が原則と云う事もあって、ま、多少は

気が楽か。

諦めが肝心。こうなっちまってはジタバタしたところで始ま

らないし、プライドも捨てた。

自然に任せたらおなかの調子も自然に戻った。



佐野やまだじんを聴く会の“副会長”とでもいうべきか、栃木の古い
友人中島英夫くん(たいへん多彩な才能に恵まれた男で通称DENさん)
が、やっとその重い腰を上げた。


中島英夫 木工作品展
 
佐野市中町 自邸アトリエにて

11月1日~3日 10:00~17:00 開催

先週の金曜日あたりから突然?急に症状が進み、頼みの右手が

使えなくなった。

入り口のシャッターは鉤手で引っ掛けて上げ下げするのだが、

こいつを持つ肘が上がらないのだ。

寒い北風が終日吹きつけていた一昨日などはやっとの思い、何と

かかんとかやれやれということで往生した。

J's_cafeへようこそ!

扉の内側、右手の壁に並んでいる電気のスウィッチ類、これが

車いすの俺の頭一つ上。こいつにも手が届かなくなった。

・・・と、こんなボヤキを聞いてくれていた近所のカットサロン・

オーナーで、友人のKさんがちょっとしたアイディア商品を手に

現れた。


そう、今日はカットサロンはOffの日。

ここ2、3日の不安定な気温の変化に風邪をひいたようで、こんな

日は止めといたらと云うのだが、これから休日恒例のハゼ釣りに

行くという。休みの日は家に居られない性質(たち)なのだ。


さてここで上の写真をご覧いただきたい。


そうとう粘着力が強いらしい黒いシールをスイッチに張り付け、

両端に糸を通しただけのものだが、コレが優れモノなのだ。

左右に薄く伸びているのがそう、ハゼ釣りの糸、テグスです。

スイッチは左手側、そこでONにする場合は向こう側を引くわけ

だが、そこにひと工夫。

フックに掛けて手前に引くと、スイッチは向こう側に倒れONに

なるというわけ省力で確実です。


どうですか、いつもながら「すぐやる課」に感謝!!


その足でいつもの江戸川べりのポイントに向かうと云うKさん。

味見程度のおすそわけと言ってとりいだしたるは、知る人ぞ知る

宮崎の原酒「百年の孤独」で知られる「中々」という麦焼酎。


噂には聞いていたが俺は初めて、“なかなか”どうして“なかなか”

のもんだそうだ。

サラっと言って颯爽と出かけていく彼の後姿も“なかなか”のもんだ。

江戸っ子はかくありたい。