カラオケの旅路(その1)-歌と歩いた青春-京都~東京・吉祥寺~博多・中洲 | 流離の翻訳者 日日是好日

流離の翻訳者 日日是好日

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

今も月に一度は妻とカラオケを楽しむ。思えば、最初に二人で会った日も食事の後にカラオケに行った。

 

 

彼女の家の近くに「JOYSOUND」というカラオケ・チェーンがあり店長と顔馴染みになるほど通ったが、いつの間にか店は取り壊されて今はカー・ディーラーになった。

 

サービス精神旺盛だった店長の明るい顔が思い浮かぶが、人も町並みも移り変って行くものだ。

 

 

思い起こせば、カラオケで最初に歌った曲は内山田洋とクールファイブの「そして神戸」。1980年頃のことで、場所は京都・高野のスナック「ユレイカ」だった。

 

大学卒業後、東京で働いていた頃はメインの遊び場が吉祥寺になった。配属された課の同僚にも、ご多分に漏れず飲み助が多く、吉祥寺で飲んでは南口のパブ「ひまつぶし」で歌った。

 

当時流行っていた曲は、あみんの「待つわ」、中村雅俊の「恋人も濡れる街角」、海援隊の「贈る言葉」などがあったが、デビューしたばかり中森明菜の大ファンが同期にいて、彼の下手な「少女A」を何度か聴かされたことを思い出す。

 

そんな中、私がよく歌ったのは薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」。何処か寂しいメロディーが好きだった。その一方で、前述の「そして神戸」や松村和子の「帰ってこいよ」など演歌を歌うこともあり、新入社員時代の不協和音な心情を反映していたように思われる。

 

「ひまつぶし」には、システム部に配属されてからも何度かお世話になったが、随分昔に店は無くなったようである。

 

 

 

 

郷里九州へのUターンを決意した1989年頃によく歌ったのが長渕剛の「とんぼ」。東京生活に疲れ果てた自らの境遇を曲の歌詞に重ね合わせて、酒を浴びながら吠えるように歌った。この曲は博多・中洲のスナックでも十八番のように歌うことになった。

 

1990年代に入り、カラオケの舞台はパブ/スナックから「カラオケ・ボックス」へと移行することになる。(続く)