内務部での研修にも慣れてきていた。一つの保険種目の研修が終わると、知識の確認のため筆記試験が行われた。試験は100点満点で採点され結果が公表された。しかしながら、私の学習成果(試験の得点)は決して捗々しいものでは無かった。
結果が捗々しくなかった理由は明らかだった。学生時代の怠惰な生活である。勉強の仕方すら忘れていた。また謙虚さも失っていた。その後に受験した様々な資格試験に比べれば、内務部の試験は決して難しいものではなかったが、気持ちばかりが焦り地道な努力を行っていなかった。
ただ、このとき100%の努力ができなかったことを、私は、その後も40代まで長い間引きずることになった。
気分を変えて……、少し当時の関前寮の周りを散策してみよう。寮を出て直ぐ、五日市街道沿いに喫茶「エル(Elle)」があった。カレー、スパゲティ、ビザなどの軽食も出していた。男性向けのメンズカレーと女性(女子大生)向けのレディースカレーがあった。
ゆっくり眠れる土曜日、朝食兼昼食でよく行った。結構男前のマスターが居た。マスターとは寮生活が長くなるうちに仲良くなり、バイトの女子高生の数学の宿題を見てやったり、マスター、女子高生と3人で卓球に行ったり、マスターとは飲みに行ったりもした。
また、五日市街道を吉祥寺方面に5分ほど歩いたところに「妙高」というとんかつ屋があった。安くてボリュームがあり味も良かった。愛想が良い店主と愛想が悪い店主の妻のコンビネーションが絶妙だった。土・日などによく食べた。
一年上の先輩方がいた頃、よく連れて行ってもらったところが「だんち鮨」と「鳥磯」である。「だんち鮨」は寮の裏通りを三鷹方面に少々歩いたところにあった。先輩方は「だんち鮨」を「団地妻」などと呼んでいた。
「だんち鮨」で私が酔い潰れ、一年上の大学の先輩(新内二課のY先輩)が、私を寮までおんぶして帰ってくれたこともあった。
「鳥磯」は関町三丁目の交差点の「平山モータース」の角を左に曲がって少し行ったところにあった。新人の頃、同期とも何度か行った。ここには、システム部に配属された後も長きにわたりお世話になった。
もう一軒、寮を出て五日市街道を渡ったところに「タンパ」という喫茶店があった。こちらもカレーやスパゲティなどボリュームがあり美味かった。当時60代を過ぎたご夫婦が店をやっておられたが、ここのご主人(親父)がユニークな人だった。
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閑話休題……。新内一課には年末恒例の行事があった。「男だけの忘年会」である。課長を含め男だけで奥多摩辺りの旅館で泊りがけの宴会をして騒ぐのである。これが結構面白かった。
前年、一年上の先輩たちが、この「男だけの忘年会」である旅館で大暴れした。旅館の丹前を着たまま風呂に入るなど悪行の限りを尽くしたらしい。その旅館は安田火災の契約者(お客様)で、結果的に火災保険の契約が落ちた。K課長は、当時の新人男子を責めることなく、黙って始末書を書いたという。
宴会の前、課長が我々を牽制してチラッとそんな話をしたが、宴会が始まると……、気が付けばただのドンチャン騒ぎになっていた。
そんな宴も酣のとき全員で撮った写真がある。そこに妙なものが写っていた。木製の鯨(?)のようである。ある先輩が両手に抱えて持っていた。
何じゃこりゃ?!と思ったが……、何のことは無い、よく見れば旅館の部屋に飾ってあった木彫りの鯛の置き物を、先輩が裏返しにして抱えていただけのことだった。