荘子(荘周)の生没は365 – 286 B.C.で英語では"Zhangzi"とか"Chang-tzu"と書く。因みに孔子は"Confucius"、また儒教は"Confucianism"である。
高校の頃この文を読んで感じたのは「夢と現実の間を『物化』という一語で片付られるのか?」という猜疑心であった。これは今も変わらない。
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「胡蝶の夢」
(書き下し文)
昔者(むかし)荘周夢に胡蝶と為る。
栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。
自ら喩(たの)しみ志に適(かな)へるかな。
周なるを知らざるなり。
俄然(がぜん)として覚むれば、則ち遽遽然(きょきょぜん)として周なり。
知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。
周と胡蝶とは、則(すなは)ち必ず分有らん。
此れを之れ物化(ぶっか)と謂(い)ふ。
(現代語訳)
昔、荘周は夢の中で胡蝶になった。
ひらひら舞って胡蝶そのものであった。
自然と楽しくなり、気持ちも思うままになった。
自分が荘周であることを忘れていた。
突然に目が覚め、元々自分が荘周であることに気がついて驚いた。
でも荘周の夢で胡蝶になったのか、胡蝶の夢で荘周になったのか分からなくなった。
しかし、荘周と胡蝶とには、間違いなく区別があるはずである。
これを「物化」(物が変化すること)というのである。
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(自作英訳第二版)
"Dream of Butterfly" by Zhangzi
In the past, I was turned into a butterfly in my dream.
I was just like a butterfly, flitting flutteringly.
Naturally, I enjoyed and released myself from the heart.
I forgot that I had originally been Zhangzi.
Suddenly, I was woken up in surprise to find that I was exactly Zhangzi myself.
However, I couldn't know whether I had been a butterfly in my dream, or a butterfly had been Zhangzi in its dream.
Nevertheless, there must be a certain border between Zhangzi and the butterfly.
This is, what we call, the "transience".
「物化」はとりあえず"transience"という語で表現した。