その10(№6667.)から続く

毎週金曜日更新を標榜しておきながら、2日遅れになって大変申し訳ございません。
今回は「1000系・2000系の転身」を取り上げます。

1000系については、何と言っても最大の転機は平成25(2013)年3月の日比谷線直通休止(実質は廃止)ですが、実はそれ以前にもありました。
そして2000系については、言うまでもなく田園都市線・半蔵門線と東武との相互直通運転の開始。
順に見ていきましょう。

【1000系の転身①~目蒲線分割と『東横特急』運転開始】
平成12(2000)年8月、東急は目蒲線について、北東側を目黒-多摩川-武蔵小杉間の運行に改めて「目黒線」と改称、南西側の多摩川-蒲田間を「東急多摩川線」と改め、運転系統を分割しました。併せて「東急多摩川線」は目蒲線時代の4連から、池上線と共通運用の3連に変更されています(3連の運用は系統分割に先立つ同年7月3日から開始)。
この変更により、東横線(日比谷線直通)/目蒲線の共通予備車だった1000N系の存在意義が失われますが、この変更に先立って1012F+1013Fが同年1月から目蒲線で使用されるようになります。そして両編成はそれぞれ先頭車を差し替え、先頭車の形状が同一になるように変更されました。これは折返しの際、運転士が混乱しないように配慮したものであり、これをもって1012F+1013Fは日比谷線に直通する機会が失われました。
しかしそれも僅かの間で、同年7月3日からは、使用車両及び編成を池上線と共通化するための布石ということか、系統分割に先立って3連の運用が開始されました。これに前後して1012F・1013Fはそれぞれ中間M車(1362・1363)を抜き、3連化されています。
この時点では、1010F+1011Fは依然として4+4の併結編成のまま、日比谷線直通運用に従事していました。
そして「東横特急」が運転を開始し、東横線のダイヤが刷新された平成13(2001)年3月28日から、毎時4本だった日比谷線直通列車が毎時2本に減らされました。この時点ではラッシュ時の運転本数は不変とされたため、1000系の所要編成数は従来どおりとされています。
日比谷線直通運用に1本だけ残った1010F+1011Fの併結編成ですが、やはり中間に運転台の挟まる編成は収容力に難があるということか、平成15(2003)年に入り、先の3連化で編成から摘出した2両を中間に入る先頭車と差し替えています。このとき元1363は電装解除され、新たにサハ1050(1051)という形式・車号が起こされています。
この新生1010Fは、以下のような組成になりました。

←渋谷/北千住 TcM‘MTM’MM’Mc 菊名・桜木町→

ひくも平成21(2009)年には1006Fと共に運用を外れ、退役を余儀なくされました。既に編成から抜かれて長期休車となっていた先頭車2両(1310、1011)と共に、一部の車両がいが鉄道に譲渡されています。

【1000系の転身②~日比谷線直通の取り止めと地方私鉄への移籍、1500番代化】
東横線の副都心線・東武東上線/西武池袋線との相互直通運転開始に伴い、日比谷線との間で行われていた相互直通運転が終了したのが、前者が開始された前日の平成25(2013)年3月15日ですが、この日をもって1000系8連は全て運用を離脱しました。
これらの編成は、長いものでは2年近くも元住吉に留置されていたそうですが、先に離脱した編成とともに有効活用が図られ、

①    1500番代への改造
②    地方私鉄への譲渡(伊賀鉄道、一畑電車、福島交通、上田電鉄)

が行われました。
1500番代への改造は、渋谷方先頭車(クハ1000)電装、中間電動車については7000系と同様のSIV一体型に載せ替えパンタグラフを増設、室内化粧板・腰掛の更新など多岐にわたっており、併せて外観も赤帯から緑の濃淡の帯に変更されるなど、大きく変わっています。
この改造は日比谷線直通時代の1・3・8号車を摘出して行われ、末尾1桁は元の編成と同一となっていますが、末尾1~8のうち6だけは先頭車が他社に譲渡されてしまったため、欠番となっています。
後に1000N’系のリニューアルとして1500番代化された車両もありますが、こちらは種車の編成構成を変更せずに改造したため、上り方2両が電動車となっており、日比谷線直通車から改造された末尾1~5・7・8の編成とは車種構成が異なっています。

【2000系の転身~大井町線への転用】
平成15(2003)年3月以降、東武乗入れの対象から外されたことにより、長津田の車庫で惰眠を貪っていることが増えた2000系。
しかし、平成29(2017)年から2020系の投入が開始されると、東武に乗り入れることができず運用上の桎梏でしかない「サークルK」編成を淘汰する機運が高まってきます。
そのような中、その翌年3月に2003Fが機器更新・リニューアル(中間T車2両を除く)を施されて出場したのには、鉄道趣味界が騒然となりました。ただし東武乗入れ対応改造は行われず、依然として「サークルK」の縛りは解かれないままでした。
しかし田園都市線のみならず半蔵門線内でも試運転を行ったものの、田園都市線内の運用に就くことはなく、2か月後に長津田に回送され、5連化され大井町線への転用改造を受けました。
編成は以下のとおり。

←大井町 2003-2303-2453-2403-2103 溝の口・長津田→(下線は2台パンタグラフ搭載)

その後、並行して改造されていた旧2002Fが登場すると、2003Fは2303を旧2302と差し替え、同時に車号を9020系と改めています。旧2302はもともとパンタグラフ1台搭載だったので、編成全体でパンタグラフ3台搭載となり、編成ごとの仕様が統一されました。
9020系3編成の最終的な組成は以下のとおり。さらに内装も2020系準拠に改められました。

←大井町              溝の口・長津田→
9021(2001)-9221(2402)-9321(2353)-9421(2303)-9121(2101)
9022(2002)-9222(2202)-9322(2253)-9422(2203)-9122(2102)
9023(2003)-9223(2402)-9323(2353)-9423(2403)-9123(2103)
(9220はパンタグラフ1台、9420はパンタグラフ2台搭載)

これら編成の就役により、8500系の4編成が退役、大井町線から界磁チョッパ車が姿を消しています。
これで9000系と弟分の2000系が全て大井町線へ、1000系は池上・東急多摩川線へそれぞれ集結することになり、彼らにも新たな安住の地が約束されたように見えました。

しかし。
9000系には、まさかの運命が待ち受けていることになりました。

-その12に続く-