その12(№5680.)から続く

五輪と鉄道インフラのかかわりを見てきた連載も、今回で最終回。
今回は将来の展望ではなく、まとめとして、五輪と鉄道インフラ整備との関係を見ていきたいと思います。

過去日本では4回五輪が開催されましたが(1940年東京五輪はカウントしていない)、それらのうち、最も鉄道インフラの整備が進んだのが、1964年東京五輪でした。このときは、あの東海道新幹線開業をはじめ、営団地下鉄日比谷線全線開業、都営地下鉄1号線(現都営浅草線)大門までの開業、さらには日本初の空港アクセス鉄道となる東京モノレール羽田空港線の開業など、目覚ましく整備が進みました。その他、本文では言及しませんでしたが、首都高など道路交通の整備も進められています。ただし道路交通に関しては、都電の存廃などの方針はこの時点では決定しておらず、五輪開催までに完全に解決されたとは言い難い面があります。勿論、五輪開催の3年後から始まった「都電撤去計画」が正しかったのかどうかは、管理人自身は激しく疑問を抱かざるを得ませんが。あるいは、急増する自動車交通に対応するためには、当時の選択としてはやむを得なかったのでしょうか。
そして次にインフラ整備が進んだと思われるのが、1964年東京五輪の8年後に開催された、1972年札幌冬季五輪。このときは札幌市営地下鉄南北線が開業、札幌駅から真駒内のメインスタジアムまでのアクセスルートが出来上がっています。しかもこの路線は、現在の新交通システムに近い、ゴムタイヤ式走行システムを採用していて、その点ではかなり特徴的な路線となっています。もっとも、札幌市営地下鉄では、その後に開業した東西線・東豊線ともゴムタイヤ方式を採用したものの、他都市では普通鉄道と同じ方式を採用しており、ゴムタイヤ方式による地下鉄は、現在でも札幌市のみとなっています。
1964年東京・1972年札幌冬季と、この2大会に関しては、鉄道インフラでも新幹線や幹線鉄道よりも、開催都市圏の地下鉄路線などの整備が進められました。これに対し、新幹線その他都市間輸送のインフラが整えられたのが、1998年長野五輪。このときは、開催に先んじて高崎-長野間に新幹線を開業させ(現在の北陸新幹線の一部)、碓氷峠という輸送上の隘路をなくして高速大量輸送を可能にしています。新幹線の整備が意味を持つのは、在来線の特急で4時間以上かかる拠点間の場合だなどといわれたものですが(所謂『4時間の壁』。これは、所要時間が4時間を超えると他の交通機関に利用が流れるとされているもの)、上野-長野間は在来線でも3時間を切っていましたから、新幹線開業の効果が懐疑的に語られることもありました。しかし、いざ開業してみれば、利用者は新幹線の快適性とスピードに魅了され、利用者数は確実に増加、「長野新幹線」は、長野五輪終了後も安定した集客を続けました。この「長野新幹線」の成功が、整備新幹線の見直しに弾みをつけたということは言えます。
また1998年長野五輪のときは、道路交通の整備もなされました。具体的には上信越自動車道の開業と、県内の高速道路網の整備。これによって長野県内の道路事情は劇的に改善しています。もっとも、長野市内と白馬村を高速道路で結んだことで、立山黒部アルペンルートの入り口である信濃大町へは、大糸線よりも長野駅からの高速バスでアクセスするのが主流になってしまい、特急「あずさ」などの大糸線直通が激減してしまったという、残念な副産物もありましたが。
最後に2020年東京五輪の際には、既に東京都心部には地下鉄をはじめとする稠密な路線網が張り巡らされていましたので、鉄道インフラに関する改良は、新路線の開業などはなく、一部駅の改良のみにとどまっています。

以上の4回の五輪開催に際して、鉄道インフラの整備がなされた内容を見ますと、新路線の整備などが目立ったのが1964年東京と1972年札幌でした。これに対し、高速鉄道や高速道路の整備が目立ったのが1998年長野。2020年東京に至っては、鉄道の新路線開業は全くなく、既存設備の改良にとどめられました。
これらの差異はそのまま、五輪開催前の当該都市における鉄道インフラの整備の度合いを端的に表したものといえます。
つまり、「五輪開催」が起爆剤になって、当該都市、あるいはその周辺のインフラ整備が劇的に進むという関係が認められるのではないかと。1964年東京、1972年札幌の開催前は、両都市の鉄道インフラは貧弱なものであった。それ故に新路線建設など徹底的な整備が図られた。これに対して1998年長野の場合は、都市内よりも都市間の交通インフラの整備が求められ、新幹線や高速道路が作られた。さらに2020年東京の場合は、既に交通インフラが「出来上がっていた」ので新路線建設などの必要はなく、既存設備の改良で事足りた。こういうことではないかと思います。

夏冬問わず、五輪の招致・開催が曲がり角に来ている。
このことは、夙に指摘されているところですが、その指摘は、インフラが整った先進国の都市であっても、開催にかかる経費が膨大になること、またこれは特に冬季五輪について言えることですが、自然破壊が顕著になることなどがあります。特に冬季五輪の場合、経費という財政面のみならず、自然破壊という環境面からも、招致・開催に懐疑的な声が多くなりつつあります。以前の記事で既に触れたように、1988年名古屋、2008年大阪の招致活動の失敗の大きな要因の一つに、住民の反対運動がありましたが、これは何も日本に限ったことではなく、米国でもデンバーでの開催が決定していた1976年の冬季五輪を、地元住民の反対運動によりオーストリア・インスブルックに開催地を移した事例もあります。そのようなこともあり、現在五輪開催に立候補する都市の数は減少傾向にあります。
それでも発展途上国や中堅国であれば、都市部のインフラ整備、特に交通インフラ整備の起爆剤になる可能性はありますので、そのような国が五輪を招致する意義はあるといえます。しかし、これら中堅国に関しては、予想される莫大な経費が五輪招致を阻んでいる面があり、その点でも新たな開催都市の立候補を集めにくくなってしまいました。
そうなってくると、今度は①開催地の固定、又は②既存インフラの活用が期待できる先進国の都市での開催を考えざるを得なくなってきます。2020年東京の次が2024年パリ(フランス)・2028年LA(米国)となっていますが、いずれも過去に開催経験がある都市となっています。冬季五輪についても、2026年ミラノ(イタリア)が決まっていますが、こちらも過去に開催経験があります。これは②の傾向を強めているとみることができます。その他、増え続ける競技種目数をどのように調整するかという問題もありますが、ここでは問題点の指摘のみにとどめます。

既に日本は「先進国」の一員となり(その一員から滑り落ちてしまったという指摘をする向きもありますが、それは置いといて)、鉄道・道路といった交通インフラも、都市部に関しては不十分なところもあるものの、それなりに整備が進んできました。今後は、五輪開催という一大イベントをきっかけとするインフラ整備が行われる可能性は低いと思われます。
ともあれ、4度もの五輪の開催が、鉄道はじめ交通インフラの整備を促す起爆剤となっていたのは事実であり、そこは正当に評価すべきでしょう。

以上で「五輪と鉄道」の記事を終了します。お付き合いいただきありがとうございました。
これで2021年、令和3年の連載記事は全て終了となります。途中に記事更新無期限停止の期間を挟んだため、空白期間が生じてしまったことは、平にご容赦を。
来年もネタを考えておりますので、どうぞお楽しみに。

-完-