その14(№5499.)から続く

今回は最終回。185系の功罪を検証してみたいと思います。

【功】
・ 30年以上にわたり、関東地区の短距離特急の屋台骨を支え続けたこと
・ (185-200の場合)7連という使いやすい単位であったため運用が組みやすかったこと
・ それまでの国鉄の車両のイメージを破る斬新なカラーリングで、鉄道趣味界のみならず一般社会にもインパクトを与えたこと
【罪】
・ 特急としてはサービスレベルが低かったこと
・ 前項と相まって、183系などとは別の意味で「特急の権威」を地に堕としたこと
・ 特急と普通列車の混用というコンセプトにそもそも無理があったこと

ざっと挙げると、どうしても「功」以上に「罪」が目立ってしまいます。
確かに、30年以上にわたって関東地区の短距離特急の屋台骨を支え続けてきたのは、185系の揺るぎない功績です。勿論、その過程では「なすの」(→おはようとちぎ・ホームタウンとちぎ)や「谷川」(→水上)などが本数削減を経て廃止に追い込まれていますが、これは185系には非はなく、輸送需要の減少という外的要因によるものです。また200番代の場合、編成単位が使いやすく分割併合運用も柔軟に組めるなど、運用に柔軟性が高かったことも「功」のひとつです。それにしてはどういうわけか、「踊り子」では7連+7連の14連が実現することはありませんでしたが。
また、当時としては斬新な塗装も、一般社会に与えたインパクトが大きかったといえ、これも「踊り子」ないし目的地としての伊豆をアピールするもので、185系の「功」にカウントしてよいと思います。もっとも、21世紀、なおかつ185系登場から2度の改元を経た今となっては、あの程度では何のインパクトもありませんが、当時は車体色が用途や電気方式によって厳格に決まっており、それを破った185系はやはり大きなインパクトがありました。

他方、「罪」の面は少なからず出てきますが、恐らく最大のものは、「特急用としてはサービスレベルが低かった」ことと思われます。実際、国鉄の内部でも、急行「伊豆」などに運用されていた153系を置き換えるための車両として設計・開発がスタートした時点では、「伊豆」の特急格上げは毛頭考えていなかったようです。そのためか、設計・開発段階では、185系が「171系」と呼称されていたのは有名な話です。それが何故「特急用」となったかといえば、当時の営業サイドが「新型車両を特急列車として運行してほしい。そうすれば料金収入が増えて増収が図れる」と要望し、当局もそれを是としたからです。
つまり、185系は、183系や485系のような生粋の特急型ではなく、当局の営業上の必要で「特急用」とされたにすぎません。そのためかどうか、故・種村直樹氏は、185系について自著の中で「185系が急行用だったら素晴らしいのに…」と述べています。確かに氏の言うとおり、185系が急行型車両として世に出ていれば、あれほどの酷評はなかったように思いますし、また関東地区以外にも投入されて重用されたかもしれません。そしてそのことと相まって、「特急の権威を地に堕とした」と、鉄道趣味界では非難囂々となりました。
こういうことを言うと、では準急→急行→特急とステップアップしていった157系や名鉄キハ8000系はどうなるのかという反論がありそうですが、両系列ともあくまで登場当初「準急用」としていただけで、車内設備は特急型相当のレベルでしたし(だからこそ157系を東海道新幹線開業前に特急「ひびき」に充当しても、食堂車がないこと以外は乗客からさしたる不満は出なかった)、キハ8000に至っては固定窓で静粛性にも配慮されていましたから。

もっとも、「特急の権威がフンダララー」などと喚いているのは鉄道趣味界くらいで、一般利用者はもっと実利的なところで、185系に不満を抱いていました。それは「急行時代と比べて料金が高くなった」ということ。それも「あまぎ」に使われていたような183-1000であればいざ知らず、183-1000よりも明らかに劣る車両で、同額の特急料金を徴収していたから。
ただし、この問題は、中長距離の都市間特急も短距離観光特急も同じ特急料金を徴収していたという、国鉄の料金制度の杓子定規さ加減に起因するもので、185系には罪はないのですが、そういう議論を巻き起こしたそもそもの原因が185系の出現ですから、やはり「罪」といえるのだろうとは思います。
それよりも管理人が考える一番の「罪」は、特急用と普通用を兼ねられるという、虻蜂取らずの車両を作り上げてしまったことでしょう。これは185系を急行用としてではなく、特急用として世に出してしまったことの結果でもあるのですが、やはり料金を収受する優等列車用の車両と、料金を収受しないばかりか定期券客も乗せる普通列車用の車両を兼ねさせることには、そもそも無理があったように思われてなりません。後年、北海道の781系や房総の183系・E257系などが末端区間を普通列車として運行している事例が出現していますが、あちらはあくまで特急列車区間の余力を生かしたもの。純然たる普通列車に充当される特急型車両は、恐らく185系が初めてだろうと思います。
管理人は、「踊り子」や「新幹線リレー号」に185系を投入するくらいであれば、183-1000から耐寒耐雪装備を簡略化した「183-2000」のような車両を投入すべきだったのではないかと思います。これなら実質的には183-1000のリピートオーダーであり、新造コストはそれほどかからなかったような気がするのですが。もっと言ってしまえば、185系は「生まれてくるべきではなかった車両」であるとすらいえます。

それではなぜ、このような中途半端な車両が世に出てしまったのかといえば、それは当時の国鉄をめぐる状況でしょう。1980年代初頭において、既に急行列車のアコモデーションが時代遅れになりつつあったことは、紛れもない事実です。そのことが国鉄時代末期、非電化ローカル線を走る急行の壊滅に至る一因にもなったわけですが、それではその急行に使用されている車両を置き換えようとすれば、今度は「増収」を図りたいという思惑が生まれます。これは無理もない話で、当時の膨大な債務を考えれば、全く正しいのですが、だからといって何でもかんでも特急にするというのは、やや邪道ではなかったかと思います。いくら急行を特急に格上げして客単価を引き上げたところで、「それによって逸走する乗客」の数が「格上げ後の列車に乗ってくれる乗客」のそれを上回ってしまえば、増収の効果がなくなるからです。あるいはこれも、特急か急行かという列車種別の問題ではなく、同じ「特急」でも列車の使命や性格が異なるのに、その違いを捨象して一律に料金を定めていることの歪みが顕在化したのかもしれません。
結局、185系は、良くも悪くも「特急列車を身近なものにした」183系や485系などとは異なり、全てにおいて中途半端な車両だったという評価をせざるを得ません。そしてその中途半端な性格は、当時の国鉄が置かれていた状況が色濃く反映されたものだろうと思います。そういう意味では、185系は国鉄時代末期の徒花であり、今後このような車両が出てくることはないでしょう。もしかしたら引退間際になって同系の人気が俄かに高まったのは、同系のそのような出自あるいは境遇に対する、愛好家のシンパシーのような感情もあったのではないかと思います。

「功罪」を検証するつもりが、185系の出自や境遇について、言葉とは裏腹にかなり同情的に見てしまったように思います。この辺りは、読者諸兄姉の評価に委ねざるを得ません。
しばらくは臨時列車での活躍が見込まれますが、これも来年まで。最後まで無事故で走り切ってくれることを祈念し、本連載を終えます。
長らくのお付き合い、ありがとうございました。

-完-
 

【おことわりとお詫び】

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