その31(№4162.)から続く

長きにわたった連載もあと2回となりました。
今回と次回は、485系の功績について取り上げます。まず、今回は、485系がこれほどまでの長命を保った理由は何なのか、次回は、485系は何をもたらしたのか、それぞれについて考えていきたいと思いますので、よろしくお付き合いくださいませ。

485系は、その始祖の481系が「雷鳥」「しらさぎ」でデビューしたのが昭和39(1964)年であり、最後の特急運用である「白鳥」(大阪-青森ではなく青森-函館)から下りたのが、実にそれから52年後の平成28(2016)年。昭和43(1968)年の485系登場からでも48年という、実に長い期間にわたって特急列車として活躍していたことになります。勿論、平成28年の時点では、昭和39年に登場した481系も、その翌年登場した483系も、そして「ヨン・サン・トオ」を機に登場した485系初期車も、全て退役しており、同じ車両がずっと活躍していたわけではありません。それでも、基本設計を同一にする車両がそれだけの長期間活躍したということは言えます。

鉄道車両に限らず、およそ機械・工業製品には
① 物理的寿命
② 社会的寿命
③ 経済的寿命
④ 技術的寿命
があろうかと思われます。
①は読んで字のごとく。
②は顧客の満足など、社会的ニーズを満たすことができなくなったときに到来する寿命。
③は継続使用のコストが、新たな機械・製品を導入するコストを上回るに至ったときに到来する寿命。
④は予備部品の調達が不可能になったり、技術の伝承ができなくなったりして、稼働させることが不可能又は著しく困難になったときに到来する寿命。
鉄道車両の場合は、①ないし④のどれかの寿命が到来して退役となるわけですが、485系の先輩格である151系(→181系)は、真っ先に①が到来してしまいました。実は181系の稼働年数は、151系として「こだま」でデビューした昭和33(1958)年から「とき」を最後に引退した昭和57(1982)年まで、僅か24年しかありません。これを見ても485系の半分以下の稼働期間ですが、これは最も古い車両の場合。昭和41(1966)年の「あずさ」用などに増備された181系100番代は、ごく一部の車両を除き、僅か16年で退役の憂き目に遭っています。このような短い稼働年数でありながら、真っ先に①が到来してしまった理由は、厳しい気象条件の路線で酷使されたことによる急激な劣化、そしてそのような劣化を手当てすることがかなわなかった保守点検体制の不備と、その不備を招いた労使関係の悪化、などといった要因が挙げられます。

それではなぜ、485系が181系に比べて、①の物理的寿命が大幅に伸びたのか?
それには、内的要因と外的要因を挙げることができます。
まず内的要因としては、181系が軽量化を過度に推し進めたために車体の耐久性が低かったのに対し(だからこそ保守をしっかり行うべきだったのだが、それがままならなかった)、485系はそこまでの徹底した軽量化を施しておらず、それなりに頑丈に作られていることが挙げられます。これは恐らく、当初から耐寒・耐雪構造としたことが理由と思われます。あとは管理人が考える理由としては、尾籠な話で恐縮ですが、汚物処理の違い。151系時代はトイレなどが垂れ流しだったのに対し、485系は(全車ではないにしても)汚物タンクが備え付けられていました。そのため、485系の方が、床下危機が汚物の飛散を受けずに済んだ。だから床下機器が被るダメージが抑えられたのではないか…とも思われます。
次に外的要因としては、国鉄時代末期の労使対立とその後の財政悪化が挙げられます。
実は既に、このころ485系の社会的寿命(②)は尽きかけていました。理由は言うまでもなく、高速バス路線網の急速な成長。特に九州では高速バス路線網は特急列車の大きな脅威になっていましたから、本来であればモデルチェンジした新たな特急型電車を投入する一方で、485系を退役させるか急行用に格下げするかすべき時期が到来したといえます。まして、このころは、特急列車の使命の変容、即ちグリーン車と食堂車を組み込んだ10連以上の大編成を組むのが当たり前だった「特別急行」から、「短編成・高頻度」の「特急」へと様変わりしたわけですから、なおさら長編成を組む前提で製造された485系列は、使いにくい車両となり下がる…はずでした。
しかし、実際にはそうはならず、485系に変わる特急型電車の投入は、JR発足後となりました。
こうなった理由こそ、国鉄時代末期の労使対立と財政悪化でした。このころは、新型特急車両を投入すると、国会や会計検査院から睨まれますし、また労働組合も新型車両の投入を「労働環境悪化につながる」として拒否していましたから(115系3000番代やEF64-1000が別形式にならなかったのはこのことが理由。本来なら前者は121系、後者はEF68となってもおかしくなかった)、新型特急車両の投入は事実上困難であり、485系を使い倒すしかなかったわけです。そして485系を使い倒すためには、従来のグリーン車・食堂車を連結した10連を超える大編成の「特別急行」から、「短編成・高頻度」の「特急」に合致した編成を整える必要がありました。それ故にこその、各種の先頭車をはじめとする夥しい数の改造車だったわけです。
つまり、485系がこれほどまでの長命を保つことができたのは、国鉄時代末期には新型特急車両の投入がままならず、485系を使い続けざるを得なかったために、同系を特急列車の性格の変容に合わせて改造せざるを得なかったこと、そしてその結果、国鉄末期~JR初期の情勢にうまくフィットさせることができたこと、これらの要因によって、結果として息の長い活躍が可能になったと言えます。

そう考えると、人間の運命と同じように、車両の運命も分からないものだと思います。労使関係と財政状況の悪化という外的要因は全く同じでありながら、181系はそれによって寿命を縮め、485系はそれによって寿命を延ばした。JR発足後も、485系は各社ごとのリニューアルによって、②の社会的寿命を延ばし続けましたが、このことも驚異的ですらあります。
もっとも、時代が下るにしたがってメンテナンスのコストも無視できなくなり、VVVFインバーター制御車の出現によって、電力消費量の大きさも無視できなくなってきました。いかに優秀な485系といえども、③の経済的寿命、④の技術的寿命に抗うことはできません。2000年代に至って同系の勢力が劇的に縮小したのは、このころ同系の③④の寿命が尽きつつあったからだ、と言っていいのでしょう。

つまり、485系が特急用の車両としてこれほどまでの長命を保った理由は、種々の外的要因により②の社会的寿命が大きく伸びたから。そしてJR発足後の各社ごとのリニューアルにより、社会的寿命を伸ばし続けたから。そのように結論づけて構わないと思われます。

次回は本当の最終回。485系列が何をもたらしたのか、そのことを考えていこうと思います。

その33(№4186.)に続く