その27(№2901.)から続く

今回はこれまでの路線・車両・ダイヤに関する歴史的な流れから一旦離れて、新幹線の乗客サービスの変遷について取り上げます。
乗客サービスといえば、主なものは発券(切符)、情報、供食とあろうかと思われますので、順次これらについて述べていきたいと思います。

1 発券
東海道新幹線開業のころは、現在のような券売機もなく、座席予約システムも人海戦術でした。各駅からの問い合わせに対し、「乗車券センター」が対応し、このセンターにある膨大なファイルから座席を割り当てて販売していました。
ところが、そのようなやり方では、列車の本数の増加により、いずれ捌ききれなくなります。

手始めに、昭和40(1965)年のスピードアップを機に、新幹線全座席をコンピューターに収容することになりました(マルス102)。マルス102の容量は約10万席だったのですが、その3年後には倍の24万席に容量を増やしました。
しかしこのころはまだ、切符の名称などは職員が手書きで書き加える必要があり、完全な自動発券には至っていません。これと前後して、短距離利用者の多かった「こだま」に自由席を導入し、これによって特急券販売の現場の負荷を軽減しています。
特急券販売がが完全に自動化されたのが、岡山開業の昭和47(1972)年のこと。収容席数は一気に70万席まで増加、同時に切符の全ての項目を自動印字することが可能になっています。

その後も収容席数の増加は続けられ、昭和60(1985)年には一般席用と団体席用のシステムを統合、収容席数は100万席まで増えました。同時にそれまで数字とカタカナでしか表示できなかった利用区間や列車名などが漢字で表記できるようになり、現在見られるJR各社の切符の原型となっています。


ここまでは、乗客が駅の有人窓口に出向いて発券してもらう必要がありましたが、JR発足後しばらくした平成初期のころから、乗客が自ら操作して指定席特急券を発券することができる「指定席券売機」が登場し、駅係員を通さない発券が可能になっています。

さらに、インターネット予約により切符そのものが必要ない、専用のICカードを使用したチケットレスサービスへと進化しています(EX-IC)。このEX-ICは、平成13(2001)年から開始されたEXサービスに端を発し、さらに国鉄時代のプッシュホン予約にまで源流を遡ることができますが、プッシュホン予約にせよEXサービスにせよ、駅で紙の切符を受け取る必要があることは変わりありませんでした。それが今や、紙の切符すら必要ないところまで進化しています。
なお、EX-ICは、指定列車の変更が乗車前であれば何度でも可能になっていることや(紙の切符の場合は一度だけ)、ポイントサービスを行いポイントの累積によりグリーン車へのアップグレードも可能となる特色があります。

2 情報
現在のようにモバイル情報機器などない、新幹線開業直前のころは、列車内で外部と情報をやり取りする手段は、停車駅での電報のみでした。そのため、電報の取扱駅が昔の時刻表には必ず掲載されていました(これはJR発足前後まで残っていた)。電話が使えたのは、僅かに、特急「こだま」「つばめ」などの東海道線の電車特急(1等車の乗客に限られていた)、それと近鉄特急の一部くらいでした。
東海道新幹線では、車内へ・車内からかけることのできる車内公衆電話を初めて導入しています。
ただし、当時は電話も手動扱いで、車内へかけるときは東京・名古屋・大阪の通信局を介して通話し、ビュフェ車の係員が乗客に取り次ぐという、今にして思うと大変面倒なことを行っていました。車内からかけるときはこの逆で、ビュフェ車の係員に申し出てつないでもらっていました。このころは通話のエリアには制限があり、東海道新幹線の沿線に限られています。
その後少しずつ通話可能エリアが拡大し、かつ電話も交換手を介さず直接にかけられるようになったのですが、通話可能エリアが全国に拡大したのは、JR発足後の平成元(1989)年とずっと遅くなりました。ちなみに、東北・上越新幹線は、昭和57(1982)年の開業当初から全国で通話可能となっています。

さらに昭和61(1986)年の100系登場時から、電話に加えて文字情報によりニュースの提供なども行われるようになり、これは現在のN700系まで続いています。100系のころは3色のLEDでしたが、N700系ではフルカラーになり、より見やすくなりました。
また、100系から始まったものに、車内のオーディオサービスがあります。これは音楽などを座席で聴けるようにしたものですが、グリーン車は座席にイヤホンの差込口があったものの、普通車ではFMラジオを持ち込まないと聴くことができず、そのため浸透度は今ひとつでした。結局、形態音楽プレーヤーの普及などにより、平成25(2013)年3月のダイヤ改正を機に、このサービスは廃止されています。
余談ですが、100系と同世代の特急車両、所謂「バブルカー」と呼ばれる車両では、ほとんどこのオーディオサービスが行われていました。中には小型テレビを設けたものもありましたが、これらを備えた車両は現在全て退役したか、又は装備が撤去されるかしています。これと関連して問題となったのが、100系V編成「グランドひかり」の1階普通席のテレビモニター。これは、1階席で眺望が効かないことを逆手にとり、JR西日本がビデオ放映などのサービスを行おうとしたのですが、JR東海が東海道区間でのビデオサービス提供を拒否したため、山陽区間のみで視聴可能となっていました。

JR発足後、めでたく通話エリアが全国に拡大した列車電話ですが、携帯電話の爆発的な普及に伴い、利用が少なくなっていきます。それでも、企業の宣伝目的の通話呼び出しなどはあったのですが、これも静かな車内環境を望む乗客からは騒音源として疎まれるようになりました。この「宣伝目的の呼び出し」、国鉄時代からあったようで、該当者が実際には乗車していないのに、乗車しているかのように装って電話をかけ、会社名を連呼してもらうというもので、こんなものは勿論本来の利用法からは逸脱するものです。そのため、このような呼び出しそのものが、東海道新幹線のヘビーユーザーからはかなりの顰蹙を買っていたのも事実です。
そのような要因があったため、車内電話取次サービスは平成9(1997)年に終了し、列車内からかけることのできる公衆電話だけが残されました。しかしこれも、かつてに比べると1編成あたりの台数は減っています。

N700系登場から、東海道新幹線では「無線LANサービス」が提供されるようになりました。これは言うまでもなく、ノートPCなどモバイル情報機器がインターネット環境に接続できるようにした結果です。当初は好評を博したのですが、N700系使用列車が増えるに及び、つながりにくくなったり、回線の速度が遅くなったりという不満の声も上がるようになっています。データ通信は、文字→静止画像→音声→動画の順に容量が大きくなるため、通信速度も遅くなるものですが、あの車内で動画サイトを見ている人はそれほどいないでしょうから、ビジネス目的のメールや文書のやり取りだろうと思います。それでも「重くなる」「つながりにくくなる」というのは、いかに利用者の数が膨大かを物語っているかのようです。

3 供食
食事のお話に移行しようかと思いましたが、分量が多くなったので記事を分けることにします。御了承ください。

その29(№2909.)に続く