その25(№2890.)から続く


とうとう、当ブログ史上最長の連載だった食堂車のシリーズを超えてしまいました。今しばらくお付き合いの程をお願い申し上げます。
本来であれば、先週火曜日にこの記事をアップすべきだったので、ちょうど1週間遅れてしまいました。申し訳ありませんm(__)m

さて、平成19(2007)年からのN700系の投入に伴って、今度は300系に退役するものが出始めました。手始めに試作車J1編成が後に「リニア・鉄道館」に保存されることになる先頭車1両を除いて解体され、続いてJ14編成が解体されます。J14編成の解体は、300系量産車の解体第1号でもありました。その後、走行距離が驚異的なレベルに達していた初期編成を中心に退役が進み、翌平成20(2008)年には、300系J編成の本数は、61本から3分の2の41本に減少しています。
JR西日本所属のF編成は、平成23(2011)年まで退役する編成は出なかったものの、同年7月から廃車が開始され、浜松工場に送られて解体されています。
300系で特筆すべきなのは、0・100・500系がいずれも短編成化による転用がなされたところ、そのような短編成化や転用が一切なされなかったことです。つまり、300系は、就役から退役まで、16連のままで全編成が現役を全うしています。退役まで全ての編成が一切編成替えを経なかったというのは、東海道・山陽新幹線では300系が初の事例で、かつ今のところ唯一の事例となっています。
管理人は、山陽区間に残る0・100系の置き換えを、短編成化した300系で行うのではないかと思っていたのですが、それは実現しませんでした。その理由は、特に初期の車両はそうですが、走行距離が驚異的すぎて老朽化が進んでしまったからでしょう。そのような車両に改造費をかけるのは、投資額が引き合わないという判断があったに違いありません。
300系は、特にJ編成がN700系投入に伴い、あれよあれよという間に本数を減らしていきます。平成23(2011)年初頭の段階では、遂に1桁の9編成まで減少してしまいました。管理人はこの年の9月、最後の300系乗車を目論んで「300系使用」と時刻表に明記されている「のぞみ」のグリーン車を取ったのですが、いざ新大阪駅に来てみたら、実際に来たのは700系。勿論300系でも700系でも、16連・1323人の定員は共通なので、運用を持ち替えても何ら問題はないのですが、それでもこのときは、300系の勢力縮小を肌で感じたのを覚えています。
結局、300系は平成24(2012)年の全国ダイヤ改正を機に全車退役することになり、ダイヤ改正前日の3月16日に東海道・山陽の両区間で実質的な「さよなら運転」といえる臨時「のぞみ」に充当され、最後の花道を飾りました。勿論、東海道(東京-新大阪間)はJR東海所属J編成、山陽(新大阪-博多)はJR西日本所属F編成が、それぞれ最後の走りを見せています。
この運用をもって、300系は東海道・山陽新幹線から姿を消しました。

他方、100系は、平成15(2003)年までに東海道・山陽新幹線の運用から外れ、短編成化されて山陽区間限定の「こだま」運用に就きます。編成は6連のK編成と4連のP編成。車内こそグリーン車の座席や「ウエストひかり」の座席などを移植し、横4列とグレードアップされていますが、2階建て車両も編成から抜かれ、短編成で山陽区間のローカル輸送に身をやつす姿は、かつての栄華が嘘のような凋落ぶりでした。
0系引退後も、100系は山陽区間で黙々と「こだま」仕業をこなししていたのですが、平成23(2011)年の九州新幹線鹿児島ルート全線開業・山陽新幹線乗り入れ開始が、100系に引導を渡す結果となってしまいます。JR西日本は、九州乗り入れ用として8連の特殊仕様のN700系を投入し、直通列車「さくら」などに投入しました。「さくら」のスジは、その大半が九州新幹線開業前の「ひかりレールスター」のそれを、そのまま鹿児島方面へ伸ばしたものですから、開業前「ひかりレールスター」に充当されていた700系7000番代が押し出されることになります。その押し出された700系7000番代が、「こだま」に充当されるようになり、100系は最後の仕事からも押し出されてしまいます。確かに山陽区間は、東海道区間より列車密度が落ちますが、それでも「こだま」には、「のぞみ」など速達列車から通過待ちの駅まで逃げ切ることのできる、逃げ足の速さが要求されます。これは、500系や700系では満たすのですが、100系ではこれら2系列に最高速度も加減速度も及ばないため、運用上の桎梏になってしまいました。そして勿論、車両そのものの老朽化、接客設備の陳腐化の問題もあります。
そのようなことから、100系も平成24年3月のダイヤ改正を機に全編成が退役しています。

結局、100系は昭和63(1988)年から平成24(2012)年までの24年間(G編成基準。ただし東海道区間に限ると平成15(2003)年までの15年間)、300系は平成4(1992)年から24年までの20年間が、それぞれ実働期間となっています。
確かに0系の44年間という期間には及ばないまでも、100系と300系の退役の時期が同じだったことには、管理人も少なからず驚きました。300系は走行キロ数が多かったのもそうですが、これら系列が退役が早かった一番の理由は、「短編成化がしにくかった」ことによるのではないかと思われます。オールMの0系なら編成を短くしても出力は変わりませんが、T車が入る100系の場合、短編成化するとMT比率が下がり、編成の出力が下がってしまいます。300系はM+T+Mのユニットですから、このユニットを2組つなげば6連ができますので問題はないように見えますが、博多方先頭車がユニットに属していないので、機器の移植などの問題があったのだと思われます。

前後しますが、平成23年3月には九州新幹線鹿児島ルートが全線開業、山陽新幹線とつながり、直通列車が運転を開始します。直通列車への充当にはJR西日本だけではなく、JR九州も8連のN700系を投入しています。
九州新幹線開業前、直通列車はどこまで入るのか、東京発着はあり得るのかが注目されましたが、実際には新大阪までとなっています。その理由は、やはり東海道区間には膨大な輸送需要があり、それは16連・1323人の定員を持つ編成を頻発させることでしか捌くことができないからです。以前に取り上げた東北新幹線との乗り入れが実現しなかったこと(こちらは線路すらつながっていない)といい、愛好家的視点ではJR東海が頑迷で融通の効かない会社に思われますが、やはり現実の輸送需要を考えると、鹿児島からの直通列車を入れるわけにはいかないのでしょう。あまり長距離の列車を設定すると、ダイヤ乱れの影響が広範囲に及んでしまいますので、それもリスク要因となりますし。

ともあれ、100系・300系の退役により、東海道区間を走る車両は、700系とN700系だけになりました。
しかし、その700系も、300系の後を追うように運用離脱・退役への足音が聞こえてきます。その後がまとなるのは、N700系をさらにブラッシュアップした「N700A」。
そこで次回は、この「N700A」のお話と、さらなるスピードアップのことを取り上げましょう。

-その27へ続く-