今回は東海道新幹線の劇的なスピードアップを成し遂げた功労者(車)300系と、「ひかり」「こだま」以外に登場した第三の種別「のぞみ」について取り上げます。
なお、今回のテーマは分量が多くなることから、最初に車両としての300系を取り上げ、次回に列車としての「のぞみ」の登場にまつわるあれこれを取り上げることにします。

東海道新幹線のスピードアップの構想に関しては、既に国鉄時代から研究が進められ、そこではVVVFインバーター制御・交流誘導電動機を採用した高速化が研究されていました。
その研究は、国鉄のJRへの改組とともにJR東海とJR東日本に引き継がれています。
そしてJR東海では、発足1年にも満たない昭和63(1988)年1月、社内に「新幹線速度向上プロジェクト委員会」が設置され、同年10月ころ「新幹線速度向上計画」が取りまとめられました。
基本的な開発方針は以下のとおり。

1 ライバルとして羽田-伊丹間の航空便を想定し、航空便利用だと飛行時間は1時間に満たないが、羽田・伊丹両空港へのアクセスや搭乗手続などの時間を考慮すると、新幹線が航空便に勝つには東京-新大阪間を2時間30分で運転できればよいという結論に達した。東京-新大阪間2時間30分運転のためには、路線の条件から最高速度を270km/hに設定する必要がある。
2 最高速度を現行の220km/hより50km/h引き上げても、0系・100系と同レベルの騒音・振動に抑えるには、どこまで軽量化をすればいいか検討された。その結果、0系で16tあった軸重を、11.3t(車両重量としては45t)までに抑えればよいことが判明した。そこで、大幅な車体の軽量化を実施(次項以下)。
3 軽量化の検討は座席の構造から徹底的になされ、結果普通車用・グリーン車用とも、100系のそれに比べて大幅な軽量化を実現。反面、車両重量が嵩む食堂車の連結は断念。
4 軽量化は台車についてもなされ、ボルスタ(揺れ枕)をなくしたボルスタレス台車を新幹線で初めて採用、台車も大幅な軽量化を実現。
5 単位重量あたりの出力を上げるため、メカニックは交流誘導電動機をVVVFインバーターで制御する方式を採用。M-T-Mの3両を1組のユニットとする。
6 パンタグラフから発生する「風切り音」を軽減するため、編成を引き通し線でつなぎ、パンタグラフを減少させることができる準備工事を実施(のち3台/編成に削減、さらに編成/2台に削減)。これを可能にするために、路線のき電方式をBT方式からAT方式へ変更。

これら全ての条件を満たした新型車両・300系は、「J0」の編成番号を付与され、試作車が平成2(1990)年に登場します。
これまで0系や100系、あるいは東北・上越の200系を見慣れた人たちは、その風貌に度肝を抜かれます。既存系列のような流線型ではなく、日本刀の切っ先のような鋭い流線型、車高を大幅に下げた平べったい車体、そして0系や100系より淡くなった青い色が、窓の周囲ではなく窓の下に入るという、それまでの新幹線車両とは何もかもが異なるものでした。加えて、当時は一部の車両にグレーとオレンジでデザインされたシンボルマークも印象的に配され、新世代の新幹線を強く印象づけるものでした。また、落成当初はき電方式の切り替えが完成していなかったため、パンタグラフは1ユニット当たり1基、合計5基設けられていました。そのパンタグラフひとつひとつに、それを覆うパンタグラフカバーがそびえ立っていたので、戦車のような物々しい外観だったのを覚えています。その後、き電方式の変更に伴いパンタグラフの削減やカバーの形状改良が実施され、登場当時のような物々しさはなくなりました。
車両は車体の構造だけではなく、座席の構造に至るまで徹底的に軽量化の検討が加えられ、車体はアルミ合金製、座席も大幅な軽量化が実現、これらによって軸重11.3tを実現しています。ただ、これを実現するためには犠牲としたものも当然あって、重量のある水タンクや調理機器が搭載できなかったためか、食堂車やビュッフェ車は製造されませんでした。このため、300系は、ビュフェ車も含めた食堂車を製造されなかった初めての新幹線電車ともなっています。その代わりに、グリーン車となる8・9・10号車を挟む形で、7号車の東京寄りと11号車の博多寄りに「サービスコーナー」と称する車内販売準備スペース兼売店が設置され、これはグリーン車の通り抜けを阻む「関所」としての役目もありました。
なくなったのは食堂車ばかりではなく、100系にはあった個室も設けられませんでした。これは、高速化のためにやむを得ない選択だったのですが、他方では接客設備の多様性を失うといったマイナス面もありました。
ちなみに、300系試作J0編成は普通車13両で1123人、グリーン車は3両で200人、合計1323人の定員となっていますが、これは現在のN700系に至るまで、東海道新幹線の標準仕様となっています。

300系試作J0編成は、落成後程なくして各種試験に投入され、量産車登場へのデータ収集に貢献しました。その間、平成3(1991)年2月28日には325.7km/hを記録し、961形による国内最高速度記録を12年ぶりに更新しています。

「スーパーひかり」の運転開始は平成4(1992)年3月のダイヤ改正時と決まり、それまでに300系は量産車16連4本が投入されました(編成番号はJ2~を付与。試作編成はその後J1に番号変更)。J0編成→J1編成との変更点は、接客設備よりも外見に多く見られたように思います。例えば、車体の帯色を水色から0系・100系と同じ青に変更し、印象が大きく変わりましたし、先頭車の前面形状を変更し、試作車と量産車の形状の相違が一発で分かるくらいの差になっています。
その後の量産車の投入では、側面客用扉のプラグドア(側面と平滑になる)がコスト高の割には騒音抑制効果が見られないので、100系以前の従来型のドア形状・構造に戻し、コストダウンが図られています(J16編成以降)。さらに、「のぞみ」の博多直通に伴い、JR西日本でも3000番代の車号を有するF編成を投入されました。

300系はこのように、それまでの新幹線車両とは全く異なる発想に基づいて製造された車両で、特に高速化と軽量化には並々ならぬ考慮が払われています。
その反面、座席の背もたれが他車に比べて低いことや、高速走行に伴って揺れが大きくなったことなど、旅客の快適性という点では後退した面があったことも事実です。特に、先頭車が最後尾になる場合、最後部に急激な気流が発生するため振り回されるような揺れが発生するという問題がありました。300系も乗り心地改良や騒音軽減のための工事を行っていますが、最後尾の問題だけはいかんともしがたく、この問題の解決は、後発の700系の登場を待たざるを得ませんでした。 

ともあれ、300系は、新幹線史上初の「フルモデルチェンジ車両」として歴史にその名を刻むことになりました。「モデルチェンジ」といえば、一般利用者から見れば100系の方の印象が強いのですが、100系は接客設備の改善に重きが置かれていて、制御装置の変更などは行われていません。これに対し、300系は地上設備から車体構造・制御方式に至るまで、徹底的な改良を加えた車両で、「モデルチェンジ」といえば、実は300系の方がふさわしいのです。しかし、世間的な評価が必ずしも高くないのは、やはり前述した居住性の問題があるからなのでしょうね。

次回は、いよいよ「のぞみ」登場のお話です。