その4(№2773.)から続く

今回は日本初、いや世界初の高速鉄道用車両となった0系について取り上げます。

0系といえば、その先頭部の愛嬌のある丸っこい風貌が、現在なお新幹線・新幹線車両を表すアイコンとして、特に鉄道に興味のない一般の人にも親しまれていますが、それも道理。0系は昭和61(1986)年までの長きにわたり、実に3216両が製造されましたし、新幹線開業の昭和39(1964)年から平成20(2008)年までの実に44年にわたって運用されていました。

0系は、高速鉄道専用車両として設計・製造された世界初の車両で、その車体構造には準張殻構造や流線型の先頭形状など、航空機の発想が随所に取り入れられています。これは、終戦後GHQにより航空機の開発・製造が禁じられたため、失業状態に陥った航空技術者が鉄道に流れてきたことによります。実際、0系の設計者だった三木忠直は、軍人であり航空科学者でした。先頭部の流線型は、風洞実験を行って決定したそうですが、現在のようにCADなどのCGなどが使えなかったり、「トンネル微気圧波」(列車が高速でトンネルへ突入すると、トンネル内の空気が急激に圧縮されて反対側に押し出され爆発音が発生する)の問題が分かっていなかったことなど、高速鉄道のノウハウが蓄積できていなかったこともあり、現在の目で見ると単純な形をしています。準張殻構造を採用したのは、軽量化と気密性を確保する目的がありました。
その他の走り装置などは、「未経験の新技術は使わず、それまでに日本の鉄道が蓄積した技術」を用いることとなりました。0系では全ての車両を電動車としましたが、2両を1つのユニットとして組み合わせるのは、国鉄が101系以降の新性能電車で確立された方式です。
それでは制御方式はどうしたかですが、これは「タップ制御」といわれる方式を採用しました。これは、架線電圧を交流のまま変圧器に通し(このとき電圧を制御することで速度を制御する)、その後整流器を通し交流を直流に変換して直流電動機を駆動させるものでした。このような、架線の交流を車載の整流器で直流に変換し直流電動機を駆動させる方式は、既に国鉄が401・421系で確立した技術でした。
また、200km/h超という、それまでの列車の倍近いスピードで走行することから、トンネル通過時の所謂「耳ツン」も在来線の比ではなく、そのために車両には気密性を維持する構造がとられました。これによって「耳ツン」の不快感はなくなったものの、初期の車両は便所・洗面所部分は気密構造になっていなかったため、気圧差で汚物が噴き上がるアクシデントもあったとか。勿論これはその後改良されています。ちなみに航空機では、高々度を飛行するジェット機では、「与圧」といって外の気圧より機内のそれを高くするのが通常ですが、新幹線ではそこまでの気圧差はないので、今のところ「与圧」まではなされていません。
さらに、超高速走行のため、列車と異物との衝突対策には万全が期されました。勿論、新幹線は全ての道路と立体交差とし踏切を一切設けないことにしましたし、法律面でも線路への立ち入りなどを在来線よりも厳格に罰することとしました(所謂『新幹線特例法』の制定)。それでも現実には線路内の異物衝突は起こりうることから、0系では先頭部の強化を図っています。具体的には、先頭部に排障器を設け、少々の岩なら吹っ飛ばすことができるような頑丈さを確保しています。また、この排障器は異物対策だけではなく、車両が高速で走行することで発生する揚力を抑え、車体を地面に押し下げる作用(ダウンフォース)を発揮し、揚力発生による浮き上がり脱線を抑える効果もあります。
その他、前頭部には高速走行のためか151系のようなヘッドマークを設けず、その代わりに丸い前頭部の鼻先をライトによって光る構造としました(光前頭)。この光前頭ですが、カバーを外すと非常用の連結器を引き出すことのできる構造とされています。灯具類は、前照灯と尾灯で同じ灯具を用いることとし、赤い色のフィルムを挟むことで尾灯になるように工夫されました。

以上は外装・メカニック面でのスペックですが、お客の目に触れる部分はどうでしょう。
外板塗色ですが、アイボリーの地に、窓回りと車体上下を鮮やかなブルーに彩るツートンカラーとされました。これは、飛行機を意識し空のイメージで青色を採用したとも、煙草の「ハイライト」をモチーフにしたともいわれていますが、これまでの国鉄の車両にはないカラーリングは、大変な評判を呼びました。
外板と言えば、初期の車両は在来線の特急と同じように、車体側面に表示板(サボ)を取り付けていたのですが、やはり高速走行時における脱落の危険があることと、サボの運用の煩雑さや盗難のリスクなどにより、早期に廃止され、その後は方向幕に変わっています。サボ取り付けを止めた後も、初期の車両の一部は、後年までサボ受けが残っていたようです。
内装は、建設中の新幹線が「夢の超特急」などといわれたことから、151系あるいは客車時代の特急に比肩する豪華装備も考えられたそうですが、実際には「ビジネス特急というレベルの内装にする」ということに落ち着いています。そのため、1等車はゆったりした横4列のフルリクライニングシートとされたものの、2等車はビジネスライクな転換クロスシートとされました。
ちなみに、1等車の座席が金色を基調とし、2等車のそれが銀色と青のツートンカラーだったことから、1等車を「ゴールドクラス」、2等車を「シルバークラス」と呼称する案もあったようですが、結局従来どおりの1等・2等に落ち着いています。
供食設備は「ビジネス特急」レベルとされたためか、また乗車時間が在来線特急よりも短いためか、本格的な食堂車ではなく、簡易型の「ビュフェ車」が登場、2等車との合造型で、1編成に2両組み込まれました。ただし在来線のそれとは異なり、座って食事ができるように、窓に向けて座ることのできるテーブルと椅子が備え付けられました。
そして内装で最も乗客の目を引いたもの。それはビュフェ車に設けられた「速度計」。当時は現在のような車内案内表示装置などはなく、まして現在の速度を表示する設備は名鉄のパノラマカーくらいにしかありませんでしたから、本当に200km/h超で走っているのかと、見物客が引きも切らなかったとか。この速度計、新幹線の黎明期にはビュフェの売り上げにかなり寄与したのでしょうね。
便所・洗面所は、2両ごとにまとめられ、奇数号車の東京寄りに各2か所、プラス男子用小便所が設けられています。この「便所・洗面所を2両ごとにまとめる」という配置は、最新のN700系・東北のE5系まで引き継がれています。

車種と形式は以下のとおりとされました。

先頭車(2等車)21・22
中間車(2等車)25・26
同  (1等車)15・16
同  (2等・ビュフェ合造)35

2桁の数字とされているのは、百の位を省略したからですが、後に百の位がないことに着目したのか、「0系」と呼称されるようになります。後に登場した100系や200系も、0系の流儀でいくなら「1系」「2系」と呼んだ方が正しいのかもしれませんね。

ともあれ、0系は12連×30本の全360両が揃い、開業を迎えます。

ところがいざ開業してみたら、当初は分かっていなかった種々の問題が、0系を苦しめることになります。

その6(№2786.)に続く