前編から続きます


夕刻から日比谷線沿線に戻ります。

まずは、茅場町駅で東武20000系との並びを撮影。



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最後の列車に使われた1007F


これも最後の邂逅です。


そして北千住での折り返し。乗り込むお客と「菊名」の行先表示を撮影しようとする愛好家(?)を捉えた2点の写真を、あえてノーキャプションで。



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これが最後の日の姿です。


ここまで撮影したところで、一旦管理人は夕食+休憩のため離脱。最後の直通列車が北千住駅を出る午後9時前に駅に戻りました。


そして、駅の案内表示には遂に!



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最後の菊名行きの表示が出た!


そして最後の菊名行きの入線!



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ギャラリーのお出迎え


管理人はこの列車に乗り込み、7号車の1407に乗り、台車間近の座席を確保しました。


北千住から乗車したのは、一般乗客よりも愛好家の方が多数に見えましたが、上野・秋葉原・茅場町と進んでいくに従って、一般客が増えます。座っているのが愛好家、立っているのが一般客というコントラストがはっきりしていましたが、愛好家がおとなしかったためか、変な騒ぎにはなりませんでした。

銀座・霞ヶ関と、管理人にも馴染みの深い駅を過ぎていきます。仕事場最寄の六本木駅に着いて、発車したときは、何ともいえない感慨に浸りました。後で聞いたのですが、恵比寿駅ではこの列車の発車後、


「ただいまの列車をもちまして、日比谷線からの東横線への直通列車は全て終了いたしました。長らくのご利用、誠にありがとうございました…」


なるアナウンスが流れたそうです。東京メトロの駅員さんGJ!ですね(^_^)


そして中目黒に到着。発車すると、営業列車として最後の、日比谷線→東横線への渡り線を渡り、東横線に入ります。

祐天寺、学芸大学、都立大学と過ぎて、自由が丘では優等列車を待避します。自由が丘到着時になると、座っていた一般乗客は下車していったのですが、そこにお別れ乗車の愛好家が座らないため、立客が沢山いるのに座らないという、奇妙な事態となりました。

愛好家らしき乗客はほとんどおりないまま、22時15分、遂に菊名駅に到着しました。東急の日比谷線直通列車の歴史が幕を下ろした瞬間でもありました。


菊名駅では、当然のことながら多数のギャラリーが待ち構えていまして、盛んに1007Fにシャッターをきっていました。まるでこの光景、最後の試合を終えた引退間際の野球やサッカーの選手を取り囲むファンみたいですね。

2点の写真はあえてノーキャプションとします。



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これで最後か…

管理人は、最後を見届けた安堵感と、日比谷線直通列車が終わってしまうことへの虚脱感と無念さ、そういう感情がない交ぜになっていました。


菊名駅で一旦改札を出て運賃を精算し、もう一度改札を通って上り電車に乗ったのですが、ひょっとすると元住吉駅で1007Fの回送列車に出会えるかもしれないと思い、元住吉駅で待っていました。

すると、駅で写真を撮っておられた愛好家の方が、もうすぐ来ますよ、と教えてくれました。

そこで撮影したのがこちらの写真↓ 2点ありますが、こちらもノーキャプションで。



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元住吉駅でお会いした方、情報を教えていただき、また撮影場所を譲っていただきましてありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。


この夜を最後に、東急東横線とメトロ日比谷線との直通列車は走らなくなりました。両社の正式発表では「休止」でしたが、実際には限りなく「廃止」に近いでしょう。まして、日吉駅にホーム柵を設置する計画 などがあっては、復活は難しいでしょう。

管理人としては、現実を受け入れなければなりませんが、それでも「最後の日比谷線直通」を記録できたことはよかったと思います。


この日の終電後、代官山駅周辺の線路切り替えが行われ、地下の渋谷駅と線路がつながり、初電から予定どおり相互直通運転が開始されました。懸念されたダイヤ乱れなどはほとんどなかったのは救いでした。


改めて、「日比谷線直通」の歴史に敬意を表し、この記事を閉じます。