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写真は幡ヶ谷折返所にたたずむ都営バスです。


ここは、渋谷からの東急バス「渋55」が達する終点で、5分も歩けば京王線の幡ヶ谷駅があり、さらに徒歩圏内には斎場(代々幡斎場)や消防士の訓練施設などがありますが、閑静な住宅街の中です。


実は、35年前の昭和52(1977)年まで、このバスは渋谷からさらに先、六本木や溜池、霞ヶ関などを経て東京駅八重洲口に至る都心直通路線「東85」でした。もちろん都心直通ですから、都営バスとの共同運行路線でした。

しかし、このような路線は定時性の維持が難しくなってきたことや、地下鉄網の充実などの要因により、昭和40年代後半から整理され始めます。特に、昭和52年とその2年後の昭和54(1979)年の2度にわたる都営バス路線網の大リストラにより、都心直通の一般バス路線はあらかた整理されてしまいました。ちなみに、「東85」は、渋谷駅-幡ヶ谷間の「渋55」と改まって東急バスの単独運行に変更に、都心側は路線ごと廃止されて都営バスは完全に撤退しています。


では、渋谷駅東急プラザ前から乗りましょう。ここは東急、京王、都営バスが集う大ターミナルで、ひっきりなしにバスの出入りがあります。



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「渋55」は18番乗り場から乗車


さびしいことなんですけど、「渋55」は最近運転本数が1時間当たり2本程度となっていて、同じくらいの頻度の「渋52」と乗り場を共用しています。なので、足元には「幡ヶ谷行き」「世田谷区民会館行き」の表示があり、分かれて並ぶようになっています。


発車すると玉川通り(国道246号)へ右折で入り坂をあがっていきますが、道玄坂上バス停先の神泉町交差点で右折し、旧山手通りに入ります。淡島方面へ向かう別の系統は、旧山手通りをさらに左折して松見坂方面へ進みますが、こちらは山手通りと合流。渋55だけの単独ルートとなります。


幅の広い山手通りを進むのも束の間、東大裏を過ぎると左折し、片側1車線の道路に入ります。

面白いことに、この道路、そのまま東京都目黒区と同渋谷区の境になっていて、これが小田急線の踏切を渡る東北沢の手前まで続きます。



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正面右側が渋谷区上原、左側が目黒区駒場(バス車内から撮影)


そして東北沢では、小田急線の踏切を渡ります。

小田急線は今、地下化・複々線化工事が佳境に入っていますが、いずれこの踏切も廃止されるのでしょう。

それはともかく、すごいのはこのあたりの進路は、センターラインのない道路であること。センターラインのない道路を進むバスというシチュエーションには、激しく萌えますね(*^^*)


一瞬だけ笹塚方面へ向かう大きな通りを走り(走る先には京王線の電車が見える)、すぐ玉川上水跡に沿った片側1車線の道へ入ります。

そしてその道の真ん中にある、幡ヶ谷折返所に到着。



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幡ヶ谷折返所はこんなところです


乗客はここでバスを降ろされ、数十m先にある冒頭の折返し施設へ向かいます。


ところで、この折返し所、管理人は数年前にも来たことがあって、そのときには「東85」時代からと思われる古い看板があったのですが、今回見たら綺麗なものに変わっていました。取り替えられてしまったのでしょうね。


バスは折返施設でインターバルを置き、乗車バス停に据え付けられます。しかしこれ、発車2分前だったんですよね…大いにあせりました(汗


以下3点、写真をあえてノーキャプションで。



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いかがでしょうか。

こんなところから(失礼)、東京駅八重洲口まで通じる路線が存在したとは、そしてその路線の末裔がこの「渋55」だとは、にわかには信じがたいものがあります。あの折返所には、クリーム地に水色の帯の「美濃部カラー」の都バスが停まっていたこともあったんでしょうね。


渋谷からだと電車では不便なエリアを結んでいるので、利用価値は高そうなのですが、1時間当たり2本の運転本数が勿体無い気がしました。乗車率は良くも悪くもないレベルでしたが…。


現在は渋谷との結びつきにほぼ特化した路線となっていまして、都心直通時代の面影など微塵も感じられませんでした。もっともそんなことを考えるのは「愛好家目線」なのかもしれませんが。


※ 当記事は02/29付の投稿としています。