最初の写真は16連・「のぞみ」時代の500系、2枚目の写真は短編成化されて「こだま」運用に移った500系です。
東海道・山陽新幹線では、昨年2月末で500系による定期「のぞみ」運用と東京乗り入れがなくなり、その後は16連が臨時列車で動いたことはあったようですが、編成が順次短縮され(16連→8連に変更)、山陽区間の「こだま」運用に転じています。
福山に到着した管理人は、この後スカイレールを目指して瀬野へ移動するのですが、その際の移動には福山→広島間の新幹線を選択。「ひかり553号」にも「のぞみ23号」にも乗ろうと思えば乗れたのですが、ここはあえて「500系こだま」をチョイス。本当は100系のこだまに乗りたかったのですが、100系による「こだま」は福山14時22分発の「こだま747号」までしかなく、13時26分発の745号に乗車することにしました。
ホームで待っていると、13時25分発の「こだま742号」が入ってきました。これが100系4連だったので、ホームから狙ってみました。1枚目が入線時、2枚目が停車時を後追いで撮影したものです。2枚ノーキャプションでどうぞ。
ちょっと影がかかってしまいましたね(汗
それにしても…かつては2階建て車両を連ね、東海道~山陽を上下していたかつての面影は、いまやすっかりなくなってしまいました。100系そのものについても、来年度限りの退役がアナウンスされていますので、遅くとも再来年3月までの命ということになります。
現在、100系はオリジナルのカラーリングに改めた編成が6連1本存在するようですが、2階建て車両がなくなった現在、管理人は個人的には思い入れは持てません。
先頭部の写真を撮影しましたので、1号車の自由席へ。自由席だからこだわらなくてもいいのですが、「1号車1番A席」に座り、広島までの旅を楽しむことにしました。
それにしても乗っていません。かつて「のぞみ」でビジネスマンを満載して東海道を上下したのはついこの間のはずですが、そのころの面影は車内の雰囲気から感じ取ることはできませんでした。
しかし、一歩足を踏み入れると、そこには確かに「500系ならでは」の空間が広がっていました。そのことが如実にわかるのが、先頭車客室の天井部分です。
福山発車時、1号車には管理人も含めて4人しか乗っていませんでした。ほかの号車は分かりませんが、こんながら空きの新幹線列車に乗車したのは初めてです。
500系の場合、両先頭車の前方は天井が低くなっているため、荷棚のスペースが小さくなってしまいます。そこで、前の1番・2番の席は、通常あるC席を潰し、そこに荷物置場を作っています。
それだけではなく、新幹線車両はいわゆるミニ新幹線用以外、普通車は1両当たり2箇所のドアがあるのが基本ですが、この500系はかつての在来線ボンネット形特急のように、運転台の後ろがすぐ客室になっていて、乗客が利用できるドアがないんです。これはいうまでもなく定員確保のためですが、このため500系使用列車は両先端にはドアがない旨を案内することになっており、それは「こだま」転用後も変わりません。
また、便洗面所の配置にも特徴があり、300系や700系は山側にトイレが2箇所、海側に洗面台2箇所と男子用小便所が1箇所という配置ですが、500系は定員確保のため、洗面台は1箇所しかありません。
これほどまでに涙ぐましい定員確保の努力をしても、東海道区間から締め出されてしまってはこれも「宝の持ち腐れ」ですね。
実はこの列車の後に、福山を5分後に発車する「ひかり559号」があり、それにのればこちらの「こだま」よりも広島に30分近く早く着くため、福山で「ひかり559号」を待った人も多くいました。そりゃ特急料金を払うんですから、速い方を選ぶのは当たり前ですよね。
各駅停車になったのもそうですが、そんな具合で新尾道・三原と長時間停車を繰り返すため(しかも三原の長時間停車は臨時列車の待避で、臨時列車が動かなければ意味のない『カラ待避』となる)、せっかくの500系の性能が生かしきれていないように思ってしまいました。
結局、新尾道・三原・東広島と「バカ停」を繰り返し、広島に着いたのは14時22分。これでは、福山から広島へ行く人は、急ぐ人は「のぞみ」や「ひかり」に乗りますし、安く行きたい人は在来線か高速バスに乗る。「こだま」の立ち位置は、「のぞみ」停車駅で乗り換え客を受けるフィーダーサービスの役目しかないように思います。
そんな列車に、500系が使用されているのは、持って生まれた性能を生かしきれておらず、「宝の持ち腐れ」という観も強いです。しかし、今年3月から九州新幹線が乗り入れるようになれば、現「ひかり」のスジは「さくら」「みずほ」に取って代わられ、「ひかり」仕業を失った700系が「こだま」に流れてくるのは必定です。それが既定路線なので、中途半端な存在になってしまった500系は、扱いにくくなってしまったのでしょう。
山陽区間のお客を少しでも東に引っ張るために。
東海道区間のお客を少しでも西に引っ張るために。
その2つの命題を宿命付けられてこの世に生を受けたはずの500系ですが、余りにも「走り」に特化しすぎてしまったのか、東海道区間では疎んじられるようになってしまった。そうなると16連の編成単位が過大になるが、さりとて「ひかり」などで使うわけにもいかなかった。500系を見ていると、そういった運命の悲哀を感じます。それはまるで、乱世の将が泰平の世で役に立たないように、卓越した戦闘能力を持ちながら泰平の世で静かに暮らさざるを得ない、そんな姿も連想してしまいます。別に500系は「乱世の将」ではありませんが、車両の運命は事後の状況の変化でこうも変わるものかということです。
最後におまけ。
今でも駅でクラッカーを鳴らしたり、胴上げをする人なんているんでしょうかね?
14時22分に広島駅に到着した管理人は、115系で瀬野へ移動。スカイレールを目指します。