8月20日はとびっきり早起きして、津軽線の末端区間の踏破を目指します。

管理人自身は、津軽線の青森-中小国間は乗車していますが、いずれも「北斗星」のような夜行列車で深夜に通過しただけなので、景色の見える時間の乗車は初で、実質的には初乗りとなります。


津軽線の蟹田行き1番電車は、何と「つがる」の間合い使用のE751系でした!


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(実況中継記事から転載)


特急用車両の普通列車への間合い使用というと、座席の白いリネンがない(省略されている)ことがままありますが、この列車はちゃんと装着されていることに驚きました。

グリーン車と普通車の車内の写真を2枚、ノーキャプションでどうぞ。


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上がグリーン車、下が普通車ですが、やはりグリーン車は横4列なんですね。


5号車に席を占め、前の座席を回転させてボックスを作り、進行方向右側の景色を堪能しました。左側なのはもちろん、陸奥湾や津軽海峡が見たいから。


青森を出ると、しばらく青森市内の住宅地の中を進み、油川のあたりで操車場が車窓左側に広がります。ここが青森運転所で、「日本海」「あけぼの」といったブルトレ客車の基地となっています。昔は「ゆうづる」などの客車や583系などが多数入庫していたらしいですが、現在は静かなものです。


青森市の家並みが途切れると、遠巻きに海が臨めるようになります。海はつかず離れずを繰り返し、蟹田の手前ではほとんど波打ち際を走るほど接近するのですが、このあたりまでの海は実は津軽海峡ではなく、陸奥湾です。青森市・青森港そのものが、津軽半島と下北半島に挟まれた陸奥湾の奥に位置するため、そこから伸びている津軽線は、陸奥湾に沿って北上する形になるわけです。

それにしても、内陸の海であることもあるのか、陸奥湾は極めて穏やかでした。これで窓が開けばいうことはないのですが、がら空きの特急用車両で4席をひとり占めするというのは、かつての旧型客車の普通列車に乗っている感じもあり、窓が開かないことを除けば実に楽しい道程でした。


それにしても驚いたのが、津軽線は単線なのですが、ほとんどの交換可能な場所で必ず貨物列車と交換していたこと。それもコンテナ車を10数両つなぎ、空ではなくかなり積載していました。この時期の北海道から本州への貨物といえば、農産物や乳製品、畜産物なのでしょうが、青函トンネルが物流に及ぼした改善効果は、今もなお顕著な形で表れています。海運では大量に運べるものの時間がかかり過ぎますし、航空機では迅速に運べるがたくさん運ぶのは難しい。しかも両方とも天気の影響を受けやすい。これに対して、鉄道だと大量かつ迅速に運ぶことができ、しかも天候の影響を受けにくい。その点はやはり、海運や航空に対する鉄道貨物輸送のアドバンテージだと思います。


てな訳で朝7時前には既に蟹田に到着。この駅はJR東日本とJR北海道の接点の駅で(戸籍上の境界は中小国から先の新中小国信号場)、特急「スーパー白鳥」などの乗務員もここで交代します。そのためか2面3線とそれなりの規模なのですが、ホームは狭くあまり大きな駅ではありません。


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蟹田駅!


蟹田から先は、三厩行きの気動車に乗り換えます。

ここで興味深いことが。三厩からのキハ40+キハ48の2連が蟹田駅1番ホームに到着。これが折り返しの三厩行きになるのだな…と思いきや、管理人の乗る三厩行きは3番ホームから発車。ではどうするのかと思って見ていたら、乗客を全て降ろした後で青森方まで引き上げ、その後3番ホームに転線してきました。このとき青森から乗ってきたE751系は2番ホームに停まっていましたから、3番ホームに入れてしまえばと思ったのですが、ことによるとこの時間、蟹田駅を通過する臨時貨物列車のスジ(通称『影スジ』)でもあるんでしょうか。


それはいいとして、車両の車号を見てもう一度びっくり!


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「キハ40 589」は…!


キハ40 589はずっと東北地区にあった車両と思われますが、実はこの車両、管理人は23年前の3月に乗車したことがあります。青函連絡船の深夜便→583系「はつかり」の乗り継ぎで函館から八戸へ出て、八戸線へ回ったのですが、このときの八戸線で乗車した車両がこのキハ40 589だったのです! 当時は乗車車両を逐一記録していましたので、この車両の車号は瞬時に思い出すことができました。当時とは色も異なっていますが、まさかここ津軽の地で、23年ぶりの邂逅を果たそうとは!


管理人も早速乗り込み、進行方向右側のボックスを確保。窓を全開にして乗り込みます。


発車します。

蟹田から1駅進んだ中小国を過ぎると、しばらくして突然貨物ヤードと見まがう複数の線路が姿を表します。これが新中小国信号場で、北海道へ行く列車は全てここから分岐し青函トンネルへ向かいます。

私たちは頭上に架線のなくなった単線の線路を、えっちらおっちらと進むのみ。津軽二股の先あたりまでは、立派な高架複線の線路と絡まりながら進みます。

津軽二股は「本州内のJR北海道の駅」として著名な津軽今別駅と隣接していますが、実はこの駅には北海道新幹線の「奥津軽駅(仮称)」が作られるらしいのです。しかし、このあたりは周囲に街らしい街もなければ、それこそ何もないようなところです。地元の方には失礼ですが、こんなところに本当に新幹線の駅ができるのか、よそ者からすると非常に信じがたいものがあります。


しばらくするとこの区間でも海が見えるようになります。ただしこれまでの陸奥湾とは異なり、今度は正真正銘の津軽海峡です。

この日の津軽海峡はあくまで穏やかでした。

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明日はこの海の下をくぐる


そして午前8時、遂に終点三厩へ!


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まさに「どんづまり」


三厩は確か太宰治が「三厩は津軽のどんづまり」と評した土地で、確かにここだけ見ているとどん詰まり感は否めないところですが、実際にはこの駅から竜飛崎行きのバスが発着し、決してどん詰まりではありません。

管理人も竜飛崎やそのそばにある有名な「階段国道」も是非見に行きたかったのですが、この後の弘南鉄道の訪問を控え、泣く泣くカットしました。新幹線新青森開業まで半年を切っていますし、それから再訪してもいいのでは、と思いました。現に観光用リゾート列車の運転が計画されているようですし。


というわけで、帰りは同じキハ40 589に乗り、今来た道を戻りました。違うのは、蟹田から青森へ戻る電車がE751系ではなく701系電車であったこと。予想外に長い5連でしたが、それでもがら空きというわけではありませんでした。管理人は701系の車内で「寝落ち」してしまいましたので、多くを語る資格はありません(^^;


青森からは特急「かもしか」で大鰐へワープ。いよいよ元東急の車両と2度目の対面を果たします。