遂に!


当ブログも記事数が900の大台に達しました。順調に行くとあと3ヶ月ほどで1000に達することになります。これもひとえに、当ブログを御贔屓にして下さる皆様のおかげです。本当にありがとうございますm(__)m


そこで、ブログナンバー900の記念記事をどうしようかと考えたときに、真っ先に頭に浮かんだのは、国鉄・JRの「試作車」なんですね。

ですがこれ、既に当ブログで取り上げてしまっています(当時の記事は こちら)。

あとは阪急の900形や近鉄の900形がありますが、そちらは見たことも乗ったこともない車両。

それよりも、管理人にゆかりのあるものの方がよいのでは。そう考えたときに思い浮かんだのが、「日本初のステンレスカー」東急5200系に対し、タッチの差でその称号を得損ねた国鉄のサロ95900(→サロ153-900)でした。ですので、今回はそのサロ95900を取り上げます。もっともこの車両も、管理人は写真でしか見たことがないので、偉そうなことは言えないのですが、東急の5200系とのライバル関係があったということで御容赦を(※)。


※ したがいまして、本来であれば本日アップすべき連載記事「光の射す方へ」は、明日以降のアップとさせていただきます。よろしく御了承下さいm(__)m


153系(→91系)は、昭和33(1958)年から準急列車用に製造が始まりましたが、優等車である2等車(→1等車→グリーン車)は、「並ロ」と呼ばれる、回転クロスシートが展開する車両でした(サロ153)。これは、153系のそもそもの開発コンセプトが、当時準急に使用されて好評を得ていた80系が本格的な長距離優等列車仕様ではなかったことから、優等列車仕様の電車を作ろうということにあったことに起因しています。80系の優等車サロ85は座席間隔の広い4人がけのボックスシートでしたが、当時の「並ロ」は、そのようなボックスシート又は転換クロスシートが主流でした。そのため、それらの「並ロ」とレベルを合わせたものとして、サロ95が世に出たわけです。

昭和33(1958)年製のうち2両が、当時の車両メーカー・汽車会社で日本初のステンレスカーとして製造されていました。これがサロ95900ですが、当時は東急車輛で東急の5200系が製造されていたため、「日本初のステンレスカー」の称号を得るのはどっちだということで注目が集まりました。

結果は、20日というほとんどタッチの差で、東急の5200系がこの栄誉を得ています。


惜しくも「日本初のステンレスカー」の栄誉は逃したサロ95900ですが、「国鉄初のステンレスカー」の称号は得ており、その歴史的意義は揺らぐものではありません。

ちなみに、この車両は2両が落成していますが、ほかのサロ95が湘南色であるのに対し、こちらは銀色の無塗装車体に紺色の帯が巻かれており(当時は客車の2等車は青帯を巻いていたため)、ほかの車両と比べても強烈な異彩を放っていたようです。


このサロ95900、サロ153-900は、153系編成に組み込まれて使われた…わけでは必ずしもないようで、153系編成の優等車の予備車としての位置づけだったようです。昭和30年代の新幹線開業前は、修学旅行シーズンのオフになるお盆や年末年始などに、本来は修学旅行用である155系などにこのサロ153-900が2両ペアで組み込まれ、臨時準急などに使用されていました。

その後、153系が急行列車に使用されるようになると、優等車は客車の「特ロ」に範を取ったリクライニングシート装備とされ(サロ152)、回転クロスシートのサロ153は111系編成に組み込まれるようになり、形式もサロ110と改めています(格下げ改造)。

このような格下げ改造は、サロ153-900も例外ではなく、153系ではなく111・113系編成に組み込まれるようになりました。その後特徴あるステンレスの外板は、ほかのサロ110などと同じように湘南カラーに塗装されるようになりましたが、それでも側面のコルゲーション(波型模様)は残っており、そのコルゲーションが強烈な印象を与えていたものです。この車両の格下げ後の活躍の場は関西地区で、111・113系編成に1両が組み込まれていました。

このとき、サロ153-900からサロ110-900と形式も変えています。しかし、冷房化はなされないままでした。


その後、昭和55(1980)年に関西地区でのグリーン車連結がなくなると、関西地区のグリーン車は軒並み失業の憂き目に遭うのですが、実際にはサロ153-900は、それ以前の昭和54(1979)年までには廃車になっていたようです。晩年は冷房化もされず、関東地区で東海道線や横須賀線で活躍している仲間に比べれば、余りにもはかない一生でした。


東京地区のサロ110が平成4(1992)年まで使われていたのを見ると、この900番台の廃車はいかにも早かったように思えますが、この車両は外板だけをステンレスにしただけで、骨組みは普通鋼製というセミステンレスですから、老朽化が早かったのかもしれません。セミステンレスはステンレスと普通鋼の溶接部分が腐蝕しやすいという弱点があり、それが仇になってしまったのでしょう。それと、当時の国鉄はすべてにおいて車両の標準化を進めていた時期ですから、特殊構造の900番代は真っ先にお払い箱にしたかったのかもしれません。


現在、国鉄→JRにおいてステンレス車はまさに「百花繚乱」というべき多士済々ぶりで、かつてサロ110-900が行き交った東海道・山陽線系統にも、ステンレス製の223系や207系、321系が走っています。ライバル私鉄でステンレス車を入れたのは阪神と南海くらいですが(近鉄は試作車3000系4両だけなので数に入れない)、現在のJR西日本のステンレス車を見たら、天上のサロ153-900はどんな感想を持つでしょうかね。


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