偉業達成、スタンドにいた3年生とグラウンドにいた3年生
いわきグリーンスタジアムの三塁側ブルペンの壁際で、13年連続で夏の甲子園出場を決めた聖光学院のメンバーが飛び跳ねていた。
高さ2メートルほど位置から、スタンドで声を嗄らした22人の3年生控え部員たちが金網越しに手を懸命に伸ばし、優勝を届けた20人のメンバーたちと歓喜の〝ハイタッチ〟を交わしている。
阿部! 阿部!!
控え部員が笑いながら叫ぶ。背番号「16」の阿部拓巳は、集合写真の撮影時間が迫ってもジャンプし続けていた。
「ありがとう! ……ありがとう!!」
その目は、真っ赤に腫れていた。
「優勝して甲子園を決めたことにホッとしています。自分なりに役割を果たせた充実感はありますし、甲子園に出る選手に想いを託すことができます」
プレーヤーとしては、この県大会が最後の舞台となる――阿部は達観していた。
「自分は甲子園でプレーできない」。そう悟ったのは、甲子園のベンチ入りが県大会より2名少ない18人といった、システム上の都合からではない。
最初に本人の口からその意思を聞いたのは、3回戦の福島西戦後だった。この試合、阿部は6回にチャンスで代打として登場し、コールド勝ちを決めるセンター前安打を放った。
「代打に出してくれた監督の期待に応えられてよかったです」
納得した表情を見せる阿部に、「これからも活躍の場が与えられるだろうしね」と向けた。
すると、笑顔で「はい」と返事し、すぐさま訂正するように「甲子園に出られたら、もっと活躍できる選手がいるんで」と言葉を結んだ。
まさか、と思い尋ねた。
――自分は甲子園のベンチに入らなくていい。そういう考えなのか?
「はい」。阿部は即答した。
高校球児。ましてや聖光学院は、夏は昨年まで12年連続甲子園出場を果たしている強豪校だ。3年生だけでもベンチ入りできなかった部員が22人いる。選ばれしメンバーとして県大会を戦う以上は優勝し、甲子園の土を踏みたいと、誰もが夢見るではないか――。
そう念を押しても、阿部はかぶりを振った。
「入りたい気持ちはなくはないですけど、41人の3年生部員がいるなかで、個人の喜びは人それぞれだと思っていて。自分は試合で活躍できるほど野球がうまくないですけど、下手でも控えでも、必死にできることをやれば、それがチームの喜びになっていくんじゃないかと思って自分はやっています」
本心を打ち明けてくれた阿部に申し訳ないと思いながらも、彼の想いを監督の斎藤智也どうしても伝えたかった。
「あいつ、そんなこと言ってたのか」
斎藤の目、そして声が親心に満ちていた。
「阿部は聖光学院の申し子のような男だから。普段はおとなしいけど、発言力がある。言うべき時は自分の考えをチームにしっかり落とし込めるし、一つひとつの言葉に深みがある。そういうやつなんだ、阿部って男は」
そうだった。阿部は、これまでもその生き様でチームを救ってきた選手だった。
新チームが始動した昨年秋。大会直前まで、「自分さえよければいい」といった主力選手の甘い考えが抜けきれず、斎藤と部長兼コーチの横山博英が「万策尽きた」と白旗を上げたくなるほどチーム状態は沈んでいた。
そんななか、練習試合で出場のチャンスを与えられ、結果を残したのが、本来ならば公式戦のベンチ入りすら厳しい境遇におかれていた阿部ら控え選手だった。
「みんなだらしなかった。力はないけど、俺だってやるときはやるんだという姿を見せられたと思っています」
その試合での阿部たちの気概によって、チームは精気を取り戻した。甲子園でプレー経験がある同級生の小室智希に、「阿部たちに必死な姿を見せてもらえなければ、秋の優勝はなかった」と言わしめたほどチームを激変させる決定的な出来事であり、姿勢を評価された阿部は秋のベンチ入りを果たした。
彼の献身はそれだけではない。
今年の春、県大会で2回戦敗退。11年ぶりに東北大会出場を逃し、失意に暮れるチームに喝を入れ続けたのも、春はベンチメンバーから漏れていた阿部だった。
選手間ミーティングで訴えかける。
「もっと謙虚になろう。『相手が下だから』とか力を出し惜しみするんじゃなく、いつも全力を出そう。控え選手の補助だって当たり前じゃない。野球だけに目を向けるんじゃなくて、もっと仲間を信じよう。一人ひとり、その想いを大切して、夏に向けて戦おう」
夏の大会、メンバー入りの真相
その阿部が、夏の大会でベンチ入りメンバーに選ばれた。
驚きはあったが、「自分は実力で選ばれた選手ではない」のだと、すぐに理解した。本来ならば、選ばれるはずがない阿部が選ばれたのは、春まで主力選手だった萩田翔が、怪我で戦線離脱を余儀なくされたからだった。
斎藤が萩田の代役として選んでくれた。
萩田は失意を押し殺し、激励してくれる。
「頑張って、戦ってこい!」
〝聖光学院の申し子〟の決意が固まる。
「甲子園で萩田が活躍する姿が観たい。メンバーに選んでもらったからには、自分がチームや監督さんに恩返しをしないとダメだ」
やっちゃったかもしんない――夏の大会前最後の練習試合で、右手小指付近に死球を受けた萩田は気落ちしていた。監督の斎藤から、直後の守備に「就けるか?」と聞かれ「大丈夫です」と外野に向かったものの、右手の自由はほとんど奪われていた。
メンバー発表の日。その痛みは「全治3週間の骨折」と診断された。病院から聖光学院のグラウンドに戻ると、ちょうど斎藤が背番号を発表していたところだった。
「お前はどうしたいんだ?」
監督の問いかけに、萩田は「外れます」と、淀みなく答えた。
「まともにプレーできていない自分がメンバーに入ってしまったら、他のメンバーにも控え選手たちにも失礼だと思ったんで」
指揮官からすれば、戦力として萩田が欠けることは痛いと思いながらも、この怪我で萩田が人として成長できると睨んでいた。だからこそ、彼が下した決断に斎藤は強く頷いた。
「それまでの萩田は、まだ結果を出すことしか考えていなかった。レギュラーからもだんだん遠のいて、体が万全でもベンチに入れるかどうかのところまで落ちてたかんね。そういう立場を考えれば、あの怪我であいつが何か教えを賜ったのであれば、チームにとっても結果的にプラスになると思った」
斎藤の深謀を萩田は聞かされていない。だが、たった一つの約束が彼のモチベーションを高めさせた。
「絶対に甲子園に行くからな。そうしたら、お前をメンバーに入れるぞ!」
そうはいっても、故障し、メンバーから外れたのは事実である。だから、高校球児ならば誰もが抱くであろう感情も確認したかった。
――正直、骨折だとわかった時は、しばらくヘコんだでしょ。
いや、と彼は否定した。
「母親に電話で報告した時には泣かれましたけど・・・ヘコむ暇もなかったというか。
自分としては監督さんと仲間の言葉にすごく勇気づけられましたし、甲子園に出るために、自分も『チームを応援して、怪我も早く治さないと』ってすぐに切り替えられましたね」
外野手のレギュラーの座を争っていた多田仁樹は、「俺たちは絶対に甲子園に行くから、お前も頑張れ!」と誰よりも萩田を励ました選手だった。
(当の本人は)「いや、そんな特別なこと言ってないっす」と恥ずかしそうに答えるが、メンバー発表の日を境に、ライバルの心境の変化を感じ取っていた。
「萩田は辛くても表に出さない強さがあるんです。春から結果が出なくて、監督さんやコーチから『心が弱い!』と言われていた時期を経験してきたから、夏にベンチから外れて謙虚になったというか、控え選手の気持ちを考えられるようになったと思います」
準決勝の前日のことだ。
寮の舎監を務める石田安広らコーチ陣が作成したビデオメッセージで、メンバーたちは控え部員の想いを受け取り、涙した。
そのなかには、萩田のメッセージもあった。
<今までは試合で打つことしか考えていなかったけど、メンバーから外れて応援してくれる控え選手の気持ちに初めて気づいた>
多田はこのメッセージで、萩田の成長を感じ「グッときた」と目頭を押さえた。
この夏、スタンドからチームを見守った萩田には、それまで見えなかった景色が胸の中に広がったという。
「去年の秋からずっとベンチに入れていただいて、スタンドで応援したのは初めてだったんですけど、本当に声を張り上げて応援してくれたり、自分のことのように喜んでくれたり、悔しがってくれたりする控え選手の姿を見て、『自分たちはこいつらに支えられていたんだ』ってことが初めてわかりました。気づくのが遅かったですけど・・・」
いわきグリーンスタジアムの三塁側ブルペン。下からめいっぱいジャンプしているメンバーに向かって、スタンドで声援をおくり戦っていた萩田も金網越しから手を伸ばせるだけ伸ばした。
彼らは約束を果たしてくれた。
「めちゃくちゃ熱い奴らです」
グラウンドに降りると、萩田は多田や阿部たちメンバーを「よかったな」とねぎらった。感情をあまり表に出さない男が、照れていた。
そんなチームメートの姿を、笑みを浮かべながら眺めていた阿部が声を弾ませる。
「僕は満足しています!」
7月30日。
聖光学院の甲子園メンバーが発表された。
萩田は「17」を背負うこととなった。
阿部の名は呼ばれなかった。
ベンチメンバーと控え選手。立場は異なる。フィールドとスタンド。戦う場所も違う。
だが、彼らはわかっている。
部員一人ひとりが聖光学院なのだと。
その声、その想いが、甲子園で反響する。
田口元義
テレビでもこの内容を「号泣甲子園」に出ていたらしい。
阿部拓巳くんは、ベンチ入りメンバーでは数少ない県内出身者の1人だった。
会社の同僚の奥さんのお兄さんの息子らしい。
一躍有名人になりましたね。
聖光学院の相手は長崎の海星。
1番最後の試合になるようだ。
今年はあまり期待されていないが、そんな時ほど勝ち上がる可能性があるのだ。今年こそ、ベスト4の壁を越えて欲しいものです。ら