ブダペストで筆者が撮影。2018年夏

 

 

イスラエル教の教会「イェホシュアのイスラエル」の代表として、あの地震とそれに続くメディアの対応を見ていて、考えたこと、咀嚼したこと、今思っていることなどをまとめます。

○私の宗教的な立場について

 

私の宗教的な立場を明らかにしておきます。1月1日の能登大地震に関する私の受け止め方を知りたい方は、これをスキップして、次の「○○」から読んでいただいても構いません。

キリスト教が掲げている「父と子と聖霊とは三つにして一つ」は”神”だと思っていません。あれは4世紀にギリシャの司教達すなわち人間が作り上げた概念であり教義であり、人が作り上げた偶像です。聖書で言う偶像です。神ではないもの。作り物。
なので、祈っても、何の応答もないし、奇跡もしるしも不思議もありません。いわゆる「イエス・キリストの救い」もない。なぜなら、イエス・キリストご自身はイスラエルの生ける神YHWHの息子であるから、父である生ける神YHWHを崇拝しないキリスト教会では、息子についていかに教えようが礼拝しようが、何も起こりません。


イエスが教えている神は、アブラハムを祝福されたイスラエルの神YHWHであり、これが自分の父だと証ししているのです。
4世紀に三位一体の教義を確立したギリシャ系(ヘレニズム)の司教達にとって、イスラエルの神YHWHは「神」ではないので、彼ら自身が当時流行していた新プラトン主義やグノーシス教から神概念を借りて来て三位一体をこしらえました。”神”を自分達で作り上げてしまったのです。そうしてキリスト教はずっとこのヘレニズムの司教達が作り上げた”神”の下で、救いも何もない宗教活動を続けて来ています。なのでキリスト教会に何十年も通っても、何もいいことがない。病が癒される奇跡を経験することがない。自分の商売が神から祝福されることを経験することもない。「神を経験することがない」というのが、全キリスト教徒(教皇、司祭、牧師を含みます)に共通する特徴です。


「経験できない”神”」を宗教儀礼によって後生大事に守り抜いて来たのがキリスト教です。

それに対して、我々のイスラエル教では、「経験できる生きた神であるイスラエルの神YHWHを、イエス・キリストの父として」礼拝しています。
キリスト教とはまったく異なる神を礼拝しているのです。
本当の神を礼拝しています。
なので、神としての御業が、私たちの周囲ではいつも思っています。
ハレルヤ!
これが、御子であるイエス・キリストの十字架の死と三日目の復活の故に起こっています。それを信じる信仰のゆえに起こっています。


そうして「イエス」の名の意味は、「YHWHは私たちの救い」です。


日曜投稿:神の名。なぜ「イエスの名」によって祈るのか?


○イスラエルの神は日本の神

聖書が教えるように「唯一のまことの神」は、イエス・キリストの父=イスラエルの神YHWHである、ということを大前提として、以下を述べます。

昨日の大地震は、正月元日に起こったということに、注意する必要があります。これによって、多くの日本人は何を感じたか?

イスラエルの神YHWHは、本当の神であり、本当の神として礼拝されることを求めています。
一方で、ほぼすべての日本人は、神を神とも思わず、感謝もしない生活を送っています。

パウロがローマにいる人達について記した以下のことが日本人にも当てはまります。

それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

ローマ人への手紙1章

彼が「神」と書いているのは、アブラハムを祝福されたイスラエルの神YHWHのことであり、イエス・キリストの父のことです。

この神は、実は、日本の神でもあられます。
いわゆる日ユ同祖論について議論を始めると長くなってしまいますので、ここでは封印します。日本人が、6世紀の仏教伝来よりもはるかに前から拝んできた「カミ」の源流が、イスラエルの神YHWHです。創世記でアブラハムを祝福された神です。

この神が、「私こそが神である」と、現れ始めています。この日本で。
詳しい経緯ははしょります。

○「私こそが神である」と現される方

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」
詩篇46篇

ときに、ひとりの神の人が近づいて来て、イスラエルの王に言った。「主はこう仰せられる。『アラムが、主は山の神であって、低地の神でない、と言っているので、わたしはこのおびただしい大軍を全部あなたの手に渡す。それによって、あなたがたは、わたしこそ主であることを知るであろう。』」
第一列王記20章

このように「私こそが神である」と、ご自身を現されるのが、本当の神である、イスラエルの神YHWHです。
YHWHは、聖書の古い翻訳である文語訳では「エホバ」と記されています。英語訳聖書ではJehova(ジェホーバ)、Yahweh(ヤーウェ)と書かれることもあります。YHWHは子音だけで発音できないので、母音を補って読む読み方が19-20世紀の研究者によって開発され、それがJehova(ジェホーバ)、Yahweh(ヤーウェ)となっています。私たちの教会では、混同を避けるため"YHWH"としています。

この神が、「私こそが神である」と、一種のあいさつとして、ご自身を現されたのが、1月1日の能登地方を中心とした大地震です。それが正月元日に起こったのです。

○歌舞音曲が吹っ飛んでしまった

この神は日本を愛しておられます。
しかしほぼすべての日本人は、この神を知りませんし、あがめもしませんし、感謝もしません。


日本人の多くは無宗教だと言われますが、その実、色々なものを信じて生きています。価値観だったり、この世の義理だったり、成功することが全てだったり、勝つことが全てだったり、あの人よりは上だったり。
また、特に、芸能界や一部のビジネス界には多いと思っていますが、特殊なモノ(霊)を拝んで、それからパワーをもらって、人気や成功を得ています。広い意味での”スピリチュアル”です。”スピ”。

こうした人達に対して、「私こそが神である」と、ある種のあいさつとして現れたのが、昨日の地震です。

これによって何が起こったか?直接的には地震の被害が起こりました。
注目しなければならないのが、これが正月元日に起こったということです。
それによってテレビの中身が一変しました。正月用に用意されていた全ての番組が飛んでしまいました。テレビは報道特集一色となりました。
またTVCMも飛んでしまいました。正月には正月用に制作されたTVCMが流されるのが通例ですが、それが飛んでしまいました。

昭和天皇が崩御された時、いわゆる「歌舞音曲」が自粛されました。
それと同じことが昨日起こりました。「歌舞音曲」が吹っ飛んでしまいました。

○すべて聖書で預言されていること

私が昨日、受け止めたのは、この地震は「歌舞音曲」で食べている人達に対する、ある種の警告であるということです。イスラエルの神YHWHこそが、「私こそが本当の神である」と”あいさつ”したのです。それによって、元日の歌舞音曲が吹っ飛んでしまいました。

これ以上は、私たちの教会が信じている神であり、礼拝している神であるイスラエルの神YHWHに関する宣教の内容になってしまいますので、ここでは置きます。

これから、このような「私こそが本当の神」であると、イスラエルの神YHWHがご自身を現される展開は、増えると、確信しています。
すべて聖書で預言されていることです。