礼拝案内7月16日:頭で理解する聖句と本当の「信仰」との違い | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

本日の礼拝は以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝
7月 16日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
タイムゾーン: Asia/Tokyo
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/aap-rcrh-xbi

本日の礼拝テーマは、

頭で理解する聖句と本当の「信仰」との違い

です。

イエス・キリストの救いにあずかるには信仰がなければいけません。
また、信仰がなくては神に喜ばれることはできませんと書いてあります。
主イエスは、地上にいらっしゃった当時、弟子たちをいつも「(あなた方に)信仰がないのはなぜなんですか?」と憤っておられました。

信仰がすべてと言って過言ではありません。

しかし、プロテスタント教会一般では、聖句を理解することが、信仰を持つことの代わりのように扱われています。
聖書は頭で理解しさえすれば、それで救われたことになる。
イエス・キリストの福音も、根拠聖句をくまなく頭で理解すれば、それで福音にあずかったことになる。

頭で聖句を理解すれば、救いにあずかったことになる。これがプロテスタント教会一般に共通する「迷信」です。

では、本当の「信仰」とは何なのか?
本当の「信仰」はどこから来るのか?