イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。
イザヤ44:6
キリスト教の歴史には、ヘブル的な流れと、ヘレニズム的な流れがあります。
ヘブル的な流れとは旧約聖書に記されているユダヤ教の伝統の上に立つキリスト教で、簡単に言えば、使徒パウロが宣教していたキリスト教です。彼はユダヤ教のトップクラスの教師ガマリエルに学び、使徒の中では人一倍ユダヤ教の伝統に通じていました。ヘブル人(ユダヤ人)への手紙を見れば、それがわかります。
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ヘレニズムとは広くギリシャに由来する文化、伝統、宗教、芸術様式、ギリシャ哲学の地盤を持つもの、などのことを言います。ヘレニズムの名称はギリシャ神話のヘレーンに由来します。
ヘレニズム的なキリスト教とは、ギリシャ哲学の伝統を持っている人達、典型的な例では教父と呼ばれる初期の神学を確立した人達が作り上げたキリスト教です。これはパウロが代表格であるヘブル的なキリスト教とは、考え方も、伝統も、異なっています。
パウロにとって「神」とは、アブラハムやモーセに現れた神です。旧約聖書で「神である主」と記されている部分。
あの「主」は、ヘブライ語原典では4文字、"YHWH"と記されています。ヤーウェと読まれたり、エホバと読まれたりしますが、原典の聖書では"YHWH"です。これが神の名です。正しい発音はユダヤ教の歴史の中で失われてしまっています。
「イェフダ」という発音が正しいと主張する研究者がいます。また「イェフアー」を主張する人もいます。「ヤーウェ」は近年になって聖書学者が母音を補って読んだ、一つの説です。「エホバ」(英語でJehovah)もそうした読み方に関する一つの説です。いずれにしても正しい発音は失われてしまいました。
ちなみに現在エルサレム国に住んでいるユダヤ人の男性の名前として「イェフダ」が存在します。仕事の必要があってテルアビブに7日ほど滞在していた時、「イェフダ」という男性と知り合って、一緒にビールを飲んだりしました。
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ヘレニズム的なキリスト教は、こうしたユダヤ的な伝統と切り離された所で発展し、ギリシャ哲学の伝統(アリストテレスやプラトン)を踏まえて、哲学的な概念で神のことを論じることを基軸にしていました。それがあるため、現在の神学が発達しています。
ヘブル世界にも神学は存在するのですが、ヘレニズム世界の神学とは全く別物です。ユダヤ教の教師、いわゆるレビが数千年に渡って守ってきたトーラー(旧約聖書+律法系の書物)をベースにするもので、根幹は、神YHWHです。
冒頭のイザヤ44:6で「わたしのほかに神はない」と神がおっしゃっておられるのは、この、ヘブルの神である「YHWH」です。
「万軍の主」と訳されている「主」も、ヘブライ語原典の聖書では"YHWH"と書かれています。ヘブルの神なのです。ユダヤ人の神なのです。これが大元の神です。
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そうしてその神は、ヘレニズム的な哲学や宗教(グノーシス)や神秘主義(新プラトン主義)の土壌がある教父達や司教達によって論じられて出来上がった「父と子と聖霊とは三つにして一つ」の神とは、まったく、全然、異なります。
ヘブルの神YHWHは、ヘレニズムの神「父と子と聖霊とは三つにして一つ」とはまったく異なる方なのです。
その方が、イザヤ44:6で、「わたしのほかに神はない」とおっしゃっておられるのです。