イスラエルの神は日本の神でもあった(1) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of koldo 

ユダヤ人の末裔だとされているPashtun(パシュトゥーン人)

 

 

2022年の後半から、いろいろな偶然が重なって、だんだんと、いわゆる「日ユ同祖論」的な事柄に触れる機会があり、いろいろなことがわかってきました。

Twitterではその都度記していたのですが、一度、ウェブでまとめておいた方が良いと考え、少しずつ書いていきたいと思います。

最初に、これまでわかったことを、何回かに分けて、まとめます。

・紀元前930年頃のソロモン王の死後、イスラエルが南王国(ユダ王国)北王国(イスラエル王国)に分裂した後で、北王国に属する10部族は、聖書に記されている歴史の中からは消え去ってしまい、いわゆる「イスラエルの失われた10部族」になった。

・10部族のうち、いくつかは、何らかの理由があって中央アジアに住むようになった。現在でも、例えばアフガニスタンには、ユダヤ教徒の伝統を受け継ぐ少数派の民族が住んでおり、現在のイスラエル国に本部がある失われた10部族捜索機関(民間の非営利団体)であるShavei Israel などによって、失われた10部族の末裔であることが認められている。

Shavei Israelは日本でもよく知られている「アミシャーブ」の後身。

 

Shavei Israel: Afganistan

 

こうした中央アジアに住んでいたユダヤ人たちが、何らかの理由によって東へ移動したということは十分にあり得る。

・中国とローマやペルシャを結ぶ陸のシルクロードがユダヤ人商人の往来に使われていた歴史的な事実がある。英語で検索するとシルクロードをユダヤ人商人が行ったり来たりしていた歴史的な事実をたくさんの文書が指摘している。中国の開封に現在も存在しているユダヤ人の末裔、Shavei Israelが確認した"THE KAIFENG JEWS"(開封のユダヤ人)は、そうしたユダヤ人商人が住み着いたものだと説明されている。