朝の礼拝:わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Marco Verch

 

 

主イエスと食事をする教会では、毎朝5分程度、その日の聖句を読んで、簡単に解説を加え、その上で、大祭司であられる主イエス・キリストを通じて、天の父を礼拝するという、霊とまことによる礼拝(ヨハネ4:23-24)を行なっています。

今日の聖句は

わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。

マタイ10:34-35

 

イエス様は、時々、理解しがたいことを口にされます。

しかし、そうした聖句も、人生のいろんな時に、「ああ、そういうことか」と、気づかせてくれます。

聖霊が、わからせてくれます。

 

本当に、主イエス・キリストを信じて、本気で証しをする人は、世の人々から石を投げられます。主イエスも、パウロも、迫害を受けると、はっきり言い切っています。

 

主イエス・キリストを信じるということは、「剣」を受けるということです。

 

数年前、レバノンで、隣国シリアの地下教会を支援しているキリスト教の活動家と会って、少し、話をしました。

「迫害を受けていないようなら、その人は、クリスチャンじゃない」と、はっきりと言い切っていました。

そういうことです。