礼拝案内6月19日:イエスが教える「いのち」と私たちが理解している「生命」の違い | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

本日の礼拝は以下で行います。いつものようにGoogle Meetで行います。

礼拝メッセージのテーマは
イエスが教える「いのち」と私たちが理解している「生命」の違い
です。

礼拝
6月 19日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
https://meet.google.com/fps-sywf-bub

交わり
6月 19日 (日曜日) · 午前11:00~午後12:00
Google Meet の参加に必要な情報
https://meet.google.com/vep-vvru-dtt

イエス・キリストの言行ではよく「いのち」について触れています。
この「いのち」は、私たちが現代社会で考えたり、感じたり、理解したりする「生命」とは全く別物です。いくつかの聖句がそれをよく示しています。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
マタイ7:14

自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
マタイ10:39

いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
マルコ8:35

この「いのち」はキリスト教会一般で教えられているように、「死んでから行く永遠の神の国におけるいのち」だけではなく、「生きている現在、この地上で受け取ることのできるいのち」をも含んでいます。言い換えれば、「この地上で生きている間に、この『いのち』を受けることができる」のです。

この「いのち」とは、詰まる所何のか?
それを解き明かします。

カギは、創世記でアダムが造られた前後関係にあります。