朝の礼拝:初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Marco Verch

 

 

主イエスと食事をする教会では、毎朝5分程度、その日の聖句を読んで、簡単に解説を加え、その上で、大祭司であられる主イエス・キリストを通じて、天の父を礼拝するという、霊とまことによる礼拝(ヨハネ4:23-24)を行なっています。

今日の聖句は
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

ヨハネ1:1-4

ヨハネの福音書1:1をギリシャ語で確認すると、「ことばは神であった」の部分の語順が、英訳で記せば"God was the Word"になっています。

 



そのまま受け取るなら、「神は言葉であった」、となります。


「言葉」は、ギリシャ語では"logos"です。Logosについては、色々な解説がなされていますが、小職がいつも使っているBible Hubの中でリンクしている語釈によると、以下のように説明されています。

3056 lógos (from 3004 /légō, "speaking to a conclusion") – a word, being the expression of a thought; a saying. 3056 /lógos ("word") is preeminently used of Christ (Jn 1:1), expressing the thoughts of the Father through the Spirit.

Logosは、ある考えの表現であり、聖書の中ではとりわけキリストについて用いられる言葉であり、御霊を通じて表された御父の考え/御心(がキリストである)、であると解説されています。

「言葉は神であった」と言うより、神はlogos/言葉であった、ということを、ギリシャ語聖書のヨハネ1:1は述べているようです。

 

これはヨハネ14-17章で繰り返し説明される、御父において御子がある、御子において御父がある、と言う関係を示していると思われます。